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すずめ日記

アメリカ田舎生活。いろいろあるよね。

マイコー

今回はちょっとおかしな日常の会話です。

今日、下の娘が晩ご飯の時に

『ママ、マイコーが全然よくならないんだ』って言うんです。英語で。

ちなみに我が家は私のずぼらな性格のせいで子供達の日本語力はあんまり高くありません。上の娘とは日本語で会話をしますが、下の娘の時は最初のやる気がかなりなくなっていたのでいい加減になってしまい、ついつい英語でもまぁいいかで過ごしています。で、会話の続き。

『エー、そうなんだ、マイコー(マイケル)も風邪ひいちゃったの?かわいそうに』

『ママ、どうして突然マイコー(マイケル)がでてくんの?』

『あの子とってもいい子だから、風邪ひいちゃってかわいそうにと思って』

と、ここまで来た時に娘達がお味噌汁を吹く勢いで笑い出したんです。下の娘が目に涙を溜めてひーひー笑いながら『ママ、いい加減に人間の耳つけてよ!』って。なにを失礼な?!と思ってよくよく聞いたら最初のマイコーはマイケルのことじゃなくて、マイコールド(自分の風邪)のことだったんです。

やだーっと笑いながら、おのれ日本に遊びに行った時には見ておれ!と思ったのでした。

いやいや、昔から。。。

今回はアメリカの田舎町の図書館事情です。

むかーし昔、定期テストの前の週、又は前日に『分かっちゃいるけど勉強できない』病によくかかりました。明日がテストなのは分かってる、でも、でも、どうしてもやる気が起きない。後で焦るのも、テストを目の前にして頭が真っ白になって大後悔するのも全部分かってる、でもどうしても今この瞬間にベッドから起き上がって机に向かう気がどうしてもしない。そしてしばしの現実逃避のためにマンガに伸びる手。

その結果どんな痛い目にあったのかはちっとも覚えていないのですが、このなんともイヤーな気分はよく覚えています。そして、数十年経った今でもこの分かっちゃいるけど病によくかかっているんです。全く同じ気分を抱えて。

通っている大学まで車で1時間以上かかります。そして春学期の始まる1月の終わりから真っ最中の3月終わりまでこの辺りは大雪に見舞われることが多く、山の中の細々としたあまり雪かきもされていない道を行くのはかなり危ないんです。教授の一人が『幼い子供がいる身で死んじゃいけない!』と心配して、春学期はできる限りオンラインコースをとりなさいとアドバイスしてくれました。という訳で大学に行くかわりに自宅でお勉強。あぁなんて楽チンなんだろう!!

と思っていたのですが、そこには強敵がいたのです。それは自分自身。月曜日の朝一番にオンラインコースの新しいコンテンツが公開になります。最初の課題は毎週水曜日が提出期限、次は金曜日、そしてまとめの大きな課題は日曜日まで、と全く息つく暇なく進行して行きます。ほとんどのコンテンツは自分で論文や本を読むものが多く、英語で本を読むのが遅い私にはハンディもあります。月曜日の朝一番から、がっつり取り組まないとてんてこ舞いになるのは、、、分かっているんです。ほんとうに。

だから早速パソコンを立ち上げ、、るまではスムーズに進むのですが、気がつくとお気に入りのショッピングサイトをのぞいたり、ソーシャルネットワークにコメントしたり(あら、近所で飼い犬が行方不明?大変だわ、シェアしてあげなくちゃ)、ネットオークションの品物が売れたかチェックしたり、私のブログ誰か読んでくれたかな?とワクワクしたり。気がつくと、あっという間に45分ぐらいたっているんです。こうなると、もうますますやる気がなくなり、他の生徒がガンガンコメントを載せているであろうディスカッションページを開ける気もせず。

そこで考えたのが、公立図書館へ行くことです。そこにあるパソコンを使えば、さすがの私でもあまりにもプライベートなサイトや、クレジット情報を載せているサイトには飛びたくありません。これはなかなかよい作戦でした。人の目があるお陰か、他のサイトを見たいなという誘惑すら起きず、私はこうやって真面目に勉学に励んでいるのです、という体を装って、ふりだけでなくオンラインコースにかじりつくことができます。

今日で4週間図書館に通い詰めて、だんだん周囲を気にする余裕がでてきました。気がついてみると、この町の公立図書館はかなり不思議な場所でした。まず平日の午前中にも関わらず、ものすごい混みようなんです。それも、働き盛りであろうと思われる年代の人も見かけます。一体ここで何をしているんだろう?と思って、ちょっと罪悪感を覚えつつ熱心にのぞいているパソコンのモニターを見ると、「ふぇいすぶっく」??なぞです。もしかして、仕事をクビになっちゃったのを奥さんに言えなくてここで一日時間をつぶしてるとか?と余計な心配をしかけましたが、まさかそんな人が町中にこんなにいるはずもありません。

そして私の隣では図書館だって言うのに声高にどうでもよいことをしゃべり続ける女の人が。最初は『ちょっとうるさいな』と思っていたのですが、途中から何をそんなに熱心に話しているのか気になってちょっと聞いてみたところ、

『私のね、お気に入りのピザ屋さんはここから3番のバスに乗って、ダウンタウンで下りてちょっと歩いたところにあるの。そこのなにが美味しいって、ピザの包み焼き。カルツォーネって言うの。最初はカルツォーネってなんだ?って感じだったんだけど、あるとき彼氏が間違えて注文しちゃって食べてみたらそれが美味しくて。うちのネコまで床に落ちたかけらを食べたわ。ネコは4匹いるの、名前は、、、』

と、この調子で続く続く。声の調子や話している内容からは一体何歳ぐらいの人なのかちっとも分からなかったのですが、見てみると高校生ぐらいの女の子。しかもかわいい。話している相手は恐らくソーシャルワーカーのようで、想像するにフォスターケア(実の親が事情があって育てられない場合にあてがわれる仮親)の週刊報告をしているようなんです。

そうかと思うと、『そのコンテンツはここでは見られません』と叱られているおじいさん。高校卒の資格を取るためにオンラインで勉強している男の子。すごい大音量で音楽を聴いている黒人のお兄さん。子供を連れたお母さん達に、熱心にレース編みをしているおばあちゃん。暖をとるためにだけいるホームレスの人もいます。よくよく見回すとありとあらゆる人が集まっていて、みんなそれぞれの時間を過ごしてる、何とも心地よい空間です。

私の通っている大学では、過去2年間で物理的な本が貸し出されたのはごくまれで、今では置いておく場所がもったいないから、全部デジタル化して図書館の建物をつぶそうという計画があります。でも、図書館ってただ本が置いてある場所ではないですよね?こんな素敵な空間がなくならないといいな、と思います。

 

お年頃?

今回は少しダークなお話です。

我が家の長女は私立の女子校に通う中学2年生です。日本では、私立中学に通うというのはよくあることですが、ほとんどの子供が公立の学校に通うアメリカでは、特にニューヨークやロサンジェルスなどの大都市ではない田舎の町では、珍しいことなんです。娘がその学校に通っているのは、ドラッグや妊娠などの問題に片親として対応する自信が私に全くなかったのと、たまたま数学の得意な彼女が学費全額免除の奨学金をもらえたからなのです。全寮+通学のその学校はとにかく学費が高くて有名で、世界中からお金持ちのお嬢さん達がやって来ています。

なぜ本題にはあまり関係ないこんな話をするかというと、その特殊な学校に通っているということで生徒達、特に奨学金をもらって来ている通学生達が持っている優越感とプレッシャーをお伝えしたかったからです。

さて先日、娘がとても深刻な顔をしていることに気がつきました。いろいろ聞いても『話したくない』ということなので放っておいたところ、しばらくして実は友達に深刻な悩みを打ち明けられ、でもその友達に誰にも言わないと約束したから言えないというようなことを話すんです。

なんだろう、13歳14歳の深刻な悩みって何だろう、とあれこれ考えましたが浮かんでくるのはこの辺でよくあるドラッグや拒食症、虐待など。数日後に娘が『もう一人では抱え切れない』と打ち明けるのを聞くと、通学生の友達の一人がリストカットをしている、というものでした。それにもびっくりしましたが、その友達の名前を聞いてまたびっくり。外から見たらほぼ完璧な家庭で、我が家のように片親でもないしいつも最新流行の物をなんでも買ってもらっていたような子だったんです。スマートフォンすら持っていないうちの娘は、時折『iPhone7を発売日に買ってもらうんだって』などうらやましそうに話していたものでした。

力になろうと娘が話を聞いたところによると、学力の上下に伴う両親との関係が原因のようでした。奨学金をもらっているのは、大変誇らしいことであると同時にある一定の成績を下回ると退学になります。また学校ではテストの点数だけでなく、毎日だされる大量の宿題や授業態度等も重視して成績をつけられています。

たまに漏れ聞く話や、行事などで会った経験から思い出すと、その女の子は大変甘やかされていました。両親、特に父親は自分の娘がいかに優秀かという話をほぼ初対面の私にたくさんしましたし、その学校に奨学金を得て通うことになったからには何でもしてあげるんだと力説していました。その『何でも』は想像するにお金で解決できるものが主だったんだと思います。新しいラップトップ、スマートフォン、洋服、勉強道具、教科書(うちの娘は安い中古を買いました)、乗馬レッスン、等々私の知る限りでも子供が三人もいるのにあのお父さんすごいなぁと思うような買いっぷりでした。

で、『お前はすごい、すごい』と言い続けているうちに、その女の子はちょっと誤解してしまったんだと思います。娘曰く、宿題をしなかったりクラスに遅れて来たり居眠りしたりと問題はたくさんあるのに『私はすごい』となぜかいつも自信満々だったそうなんです。そして迎えた半期ごとの成績発表の日。彼女は両親から『こんな成績じゃ学校を追い出されて、公立行きで人生終わりだ』と言われたそうなんです。その話を聞いて、それは親のやり方が間違っているんじゃないだろうか、かわいそうにと思ったのを覚えています。

成績を上げなくちゃいけない、でも親に相談できない、周りの友達は時間をかけてこつこつと積み上げて来た実績で難なく宿題をこなしている、そんな状況でその女の子は追いつめられてしまったのではないでしょうか。娘が『お願いだからもう手は切らないで』と言ったところその時はもうしないと言ったのですが、数日後娘はどんどんひどくなって行く傷跡を見せられたそうです。

これは親御さんに連絡してあげなくてはと考えていた先週末、娘が絶叫しながら部屋に駆け込んできました。『今連絡があって、遺書を書いて家中の薬を集めたって、どうしよう、死んじゃう、死んじゃう』と。薬の種類は主に鎮痛剤で、どう見てもそれでは死ぬことはできないと分かってはいましたが私もかなり動揺しました。親御さんの連絡先を必死になって探している間、泣き続ける娘をなだめてメールをチェックさせたところ、その女の子のお母さんからメールが来ていました。

『初めてうちの子が何をしているか気がつきました。病院に入れることにしたのでしばらく学校には行きません。支えになってくれてありがとう。』と。

それから、その子は学校には来ていません。生意気ちゃんで持ってる物の自慢ばかりで片親のうちの娘をちょっと小馬鹿にしていて何だかなぁな子だけど、たった14歳で辛かっただろうな。見かけは金髪に青い目で天使みたいなかわいい笑顔のその子が、早く学校に来れるようになればいいと今は心から思います。

ヴァレンタイン vs. Valentine's

今回は、『ところ変われば。。。』と言うお話です。

もうすぐヴァレンタインデー。いつの頃も大好きな年中行事です。日本で生まれ育つと、ヴァレンタインデーは女の子が好きな男の子にチョコレートを渡す日、ですよね。そして一ヶ月後のホワイトデーにはキャンディーがもらえる、という。その習慣を疑ったこともなかった私。

アメリカに来て最初の年のヴァレンタインデーが近づいて来たある日、娘の幼稚園からお知らせが来ました。『ヴァレンタインデーには、お友達のためにカードを用意してください』と。ヘーぇ、さすがアメリカ、学校でヴァレンタインやっちゃうんだ、しかも幼稚園で!と感心したものの、さて娘は誰にカードを渡した物か、ずいぶん悩みました。かなりぼけーっとした4歳児(だった)の娘。好きな子いるの?という質問に数人の名前を挙げました。アラッ4歳で!!??と思ったらみんな女の子。そうだよなー、仕方ないよな、と思いつつも変な誤解されたらどうしよう、アメリカだし、等々考えたあげく男女混ぜた4人分のプレゼントをもたせました。そして、帰宅した娘のかばんを見てみると、なんと!クラスメート全員からのカードやら飴やらチョコレートやらが。

そうなんです。アメリカではヴァレンタインは国民行事。老若男女が好きな相手に何らかの形でそれを伝える日なんです。お友達でも、親子でも、もちろん恋人同士でもオッケーなんです。学校では、大体クラス全員分のカードなり小さなプレゼントなりを用意して、それを交換する小さなパーティーをします。

今年は娘は指あみのブレスレット(女の子用)と、小さなおもちゃ(男の子用)を用意しました。数が多いのでこっちも大変です。

大人の間で一般的なのは、男性が女性にバラやチョコレート贈ったり、ディナーに連れて行ったりすることです。恐ろしくいけてない通りを挟んだお向かいのご主人も、普段は奥さんに頭が上がらない感じのお隣のおじさんも、スーパーにいるおじいちゃん達もその日はみんな小さな花束を家に持ち帰ります。それをずっと見ていて、いいナァーーーーと長年思っていました。ちなみに我が家は日本式を踏襲して私から旦那さんにチョコをあげていました。でもある年、うちももうずいぶん長いことアメリカにいるし、そろそろアメリカ式にしても、と思い旦那さんに『お花が欲しいんだけど』と言ってみました。そして仕事から帰宅した彼が差し出したのは、一輪のカーネーション。明らかに、同僚が持っていた花束から一輪もらって来たものです。深いため息がでました。それを見て『何だ、花束が欲しいならそう言わないと。花って言ったじゃん』って。いや、確かにカーネーションだって花だけど。

まぁ、それだけが原因ではないけれど、一事が万事ということで今に至り、何となくヴァレンタイはついてないという印象が残りました。

そして先日、寝室においてある絵の額を掃除しようと思ったら、後ろからハート形のチョコレートの箱がでてきました。この間遊びに来てくれた彼が、子供達と一緒に隠してくれたんです。一週間以上早く見つけてしまって、子供達も彼もちょっとお冠でしたが(でも、それって私がいけないの?!)今年は数十年ぶりにウキウキのヴァレンタインシーズンを味わうことができたのでした。

みなさんもどうぞ楽しいヴァレンタインデーを!

英語ってどうやったら話せるようになるんでしょう その弐

今回は私が試して役に立った英語勉強法のお話です。

今日は大学院の課題を一つ仕上げました。7ページ分のレポートで、自分で書いた後にいつも私の英語に関することをいろいろ手伝ってくれる友達に一緒に読んでもらいました。結果、『間違ってはいないけど言いたいことがよく分からない』ところや、冠詞が違っているところ、単数複数の使い方が違っているところなどなど後から後から直されて相当落ち込みました。

英語をきちんと、アメリカ人のレポートに混じっても分からないぐらいに書いて、自分の言いたいことを淀みなく伝えるようになるにはまだまだ長い道のりがありそうです。

こんな前置きを書いてしまうと、私のした勉強法なんてあんまり参考にならないんじゃないだろうかと自分で思ってしまいますが、まぁこれでも昔に比べればだいぶましということで、前回のその壱の続きを書きたいと思います。

英語に限らず、恐らく外国語全般は実際に使うことで飛躍的に上達すると思います。でもそれだけでは足りません。何かを習得する時のその人のタイプにも寄るのですが、私は一度頭で理解しないと先に進まないタイプ。と言う訳で日本からある本を取り寄せました。その名も『英語耳』。英語勉強の本は星の数ほどあるけれど、この本を気に入った理由は、音の感じや作り方が分かりやすく書いてあったこと。音一つ一つを丁寧に解説してあって、全体像も分かりやすく、それまでの本にあったようなまるで英語の樹海に放り込まれたような混乱が全くなかったことです。その本にもあるように、英語の音を習得するのはスポーツの練習と似ています。テニスの素振りを頭で考えなくてもできるようになるまでには、筋肉がその動きを覚えるまで繰り返し練習することが必要です。大人にって英語の音を習得しようとする場合、それと同じような地味な練習がひたすら必要です。一人の経験からなので、絶対こうだ、とは言いませんが『聞くだけで自然と英語がぺらぺら』ということはかなりの確率であり得ません。前回書いた、リテラシープログラムで知り合った友人と会って練習するたびに、発音のおかしい音を指摘してもらい(最初の頃はほぼ全ての母音が不正確でした)、その音を集中して練習する、ということを半年ほど続けたでしょうか。

そのお陰でこの音を作ろうと思ったらこういう風にするんだ、ということが理論的に頭で理解でき、その後の反復練習で音が自然と作れるようになりました。そんな風にテレビゲームのように身につける武器をどんどん増やしていって、今に至るんだと思います。今でもよく使う単語以外はスペルを頭に思い浮かべて発音しています。LなのかRなのか、お米(rice)なのかシラミ(lice)なのか、BなのかVなのかは未だ微妙なところです。

昔は国際結婚をしている人はみんな英語がぺらぺらなんだと思っていたものです。でも実際のところを見てみると、そんなことはないんです。一度カナダ人と結婚した友人に失礼ながら聞いたことがあります。『英語で不自由ないの?』って。彼女曰く、言葉以外で通じるところがあるそうなんです。ふーんそんなもんなんだ、と思っていたのですが実際自分がアメリカ人と親しくなってみると、やはりうーん、と考えてしまいます。海外のあちこちで日本語を学んでいる外国人の友人もたくさんできました。みんなそれなりに上手だし、中には漢字まで書きこなす人もいます。でもね、どうしてもその友人達と長くいると疲れちゃうんです。自分の母国語をたどたどしく話す相手と長時間過ごすのは、自分があまりしゃべれない言葉の環境にいるのとほぼ同じ労力を要します。ふとそれを思い出す時、私は彼に聞きます。『ねぇ、こんな言語不自由な人と一緒にいて疲れない?』って。また、同じような英語レベルでこれまたアメリカ人と付き合っている友人と『私達が日本語でしゃべっていることを知ったら驚くだろうねー』ってよく言っています。

そして前述の質問に対する彼の返事は『うん、そこがいいんだよ』。もちろん冗談めかして言ってくれるのですが、もしかして冗談じゃなかったりして。。。。

 

英製和語

今回は、アメリカに浸透している日本語のお話です。

昨日は大学院の授業がありました。来週から取り組む発表の説明があったのですが、教授が『この発表方法はPecha Kucha プレゼンテーションと言います』って言ったのです。ん?ペチャクチャ??って日本語みたいだなと思って聞いていたのですが、詳しく見てみると本当に日本語のペチャクチャなんです。『ペチャクチャプレゼンテーション』というのは日本人のアーティストが始めた、20枚の写真にそれぞれ15秒に限った説明を付けるという発表方法で、発表時間が6分40秒にきちっと収まり、パワーポイントと違ってスライドに文字が入らないので分かりやすいと、いろんな分野での発表に浸透しているものなんです。

アカデミックの世界も例外ではありません。しばらく人気だったパワーポイントも、最近では"Death by Powerpoint"(極刑パワーポイント)なんて言われるぐらい、説明も長いし、スライドに字がいっぱい入ってるしなどと不評なのでこの新しいプレゼン方法は注目を集めています。

とは言っても、私を含めたクラスメートには初耳の方法で、『大体ペチャクチャって何?』という声が多かったので『ええと、これは実は日本語の言葉で、、、』って皆に説明したのですが、これがとても難しかったです。ペチャクチャって、日本語で言い換えるのも難しいと思いませんか?恐らくそう言う訳で原語の名前がそのまま使われているんだと想像します。

日本語には、外国語をそのまま取り入れた言葉が多いですよね?この間、英会話のレッスンで"fast"の『断食』という方の意味を説明していたら生徒さんが『あ、最近ではファースティングって流行ってるんです』って教えてくれました。英語にも、実は日本語をそのまま取り入れてそれが英単語になっている、和製英語ならぬ英製和語がけっこうあるんですよ。例えば

『豆腐』『カラオケ』『空手』『津波』『寿司』『刺身』『盆栽』『折り紙』などはそのものが英語圏に存在しないのでそのまま使われているようです。ただし、発音はかなり違います。クラーティーってどの言葉だか分かりますか?

また『俳句』や『絵文字』『かわいい』『マンガ』『枝豆』『パン粉』『布団』は同じようなコンセプトのものもあるのになぜか日本語が使われています。そして驚いたのは、娘の通う中学校で大人気の『先輩』。日本の少女マンガをベースにしたゲームの中で使われているようです。

異国で、外国人が日本語の単語をすごく間違った発音で普通の会話に使っているのを聞くのはとても妙な気分ですが、嬉しくもあります。英語圏の人達も、日本に来て和製英語を聞くとこんな気分なんだろうな、と思います。

そう言えば、日本の和製英語はかなりよくできていて、たいていの言葉は英語っぽく発音すると通じてしまうのですが、根本的に間違っている言葉もいくつかあります。

例えば『ビニール』。英語では"vinyl" と書いて『ヴァイナル』と発音します。更に日本語で言うビニール袋は英語では"plastic bag"(プラスティックバッグ)というのです。他にもいくつか日本人で最初にこの言葉に遭遇した人が間違っちゃったんだなぁと思われる単語がいくつかあります。

どんな言語でも、言葉は常に変化しています。数年外国に暮らすと、日本のニュースを読んだり日本にいる日本の人と話していて、意味がわからない言葉がでてくるんです。まるで浦島太郎のようです。その分異国の地で会う日本語には、まるで旧友にでも会ったかのように親近感を覚えます。次に会うのはどんな英製和語か、楽しみです!

アメリカに住んでいます。

今回は最近アメリカを始め世界を騒がしている話題についてです。

『アメリカに住んでいます』と言うフレーズからどんな印象を持つでしょうか?今までは、ポジティブな印象が強かったと思います。でも、もしかしたらそれは変わりつつあるのかなぁとここ数週間考えています。『ヘーぇ、アメリカに住んでるの』という言葉が含むものが『いいな、映画や音楽になんでも大きいアメリカ、あこがれちゃうな』と言う(これは私がアメリカに来るずっと前に持っていた印象なのです)ものから、『気の毒にな、あんな所に住んじゃって』と、極端に言えばそういう風になりつつあるのではないでしょうか。世界中が。

私はアメリカが大好きです。アメリカに来るのは私の選択ではなかったし、ヨーロッパに住んでいる時はアメリカの印象はあまり良くなかったのですが、思い返せば中学生の頃『いまを生きる』という映画にでてくる俳優さんに一目惚れして以来、アメリカはあこがれの地でした。住んでみると、アメリカが地球上でもとても特殊な国であることが分かります。歴史が長く、伝統の濃いヨーロッパから引っ越してみるとそれは更に引き立ちます。アメリカは人間関係や社会のシステムがとにかくあっけらかんと分かりやすく、白黒がはっきりしていてとっても明るい。それは、いろんな国から来た人たちが皆に分かるようにと作り上げた比較的新しいシステムだからなのではないかな、と私は思います。こういう社会は後から参加する者には大変ありがたいんです。ヨーロッパにはいくら住んでもなかなかとけ込めず、いつもどこかで自分はよそ者という感覚を持っていました。でもそれがアメリカだと、1年経つかたたないうちに『ここに一生住んでもいいかな』と思えるほどなじめたのです。周りを見渡せば、見かけはちっともアメリカ人ではないのにアメリカの市民権を得てアメリカを祖国と呼んでいる人がたくさんいます。それもアメリカになじみやすい理由の一つで、そしてこれこそアメリカの強みであり、魅力でした。

その数年後初のアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生し、改めてアメリカの、そしてアメリカ人の懐の深さやチャレンジ精神に感心したものです。

そして、いま。アメリカは今まで世界の先頭を切って進んで来た道を捨てて、全く反対の方向に、誰もついていかないまま後退しているように見えます。他の国々と作り上げて来た協定から離脱したり、一握りの悪意ある人達から国を守るためと言ってその何千倍もいる多くの善良な移民達を十把一絡げに国から追い出すのは間違ったやりかたです。例えば次にでるテロリストが別の国出身だったら、今度はその国を渡航禁止リストに載せるのでしょうか。そうやって次々と世界とのつながりを切っていって、アメリカ本国にいるアメリカ人だけを一番に考えてやっていけると思っている人を支持するアメリカ人。今回ばかりはアメリカに失望しました。気分としては、ずっとずっと好きだった素敵な人が突然仮面を脱いで、でその下にいたのは人間じゃなくて妖怪で、今までおくびにも出さなかった野望を持っていた、というような。

でも、妖怪は実はずっと頑張っていたのかもしれません。中身はどんどん駄目になっていってたのに、仮面をかぶり続け自分たちの良識を信じてなんとか世界の先頭を切って進んでいたのかも。その仮面と中身のギャップがとうとう埋めようがないまでに大きくなって、『もう耐えられない』となった時に『妖怪のままでいいんだ!!』と声高に叫ぶ人がいたら。。。

実情がそうだったのだとしたら、今回の変化はいつか起こるものだったでしょうし、不思議なことに人間と同じで国の盛衰も時間の流れとともに変わります。もしかしたら、アメリカの絶好調な時はもう終わるのかもしれません。どう言う訳かその国から生み出されるものが世界の隅々まで受け入れられやすい、というこの不思議に魅力的な国がだんだん衰えて行くのを見るのはとても寂しいです。

でもだからといってとっとと国に帰る決断もできず、どんどん凶暴化して暴れる妖怪をただ何もできずに見守る、そんな歯がゆい今日この頃です。