すずめ日記

アメリカ田舎生活。いろいろあるよね。

大学院への道

今回は、大学院に入学するまで、です。

いつか大学院に行きたいな、とずっと考えていました。実際日本から『アメリカ大学院ガイド』などの本を取り寄せたり、トーフル受験準備のための参考書を購入したりしていました。でも、やはり大学院となると敷居が高い。入学するためには大学時代の成績証明書に推薦状にエッセー等々、読んでいるだけでこりゃ駄目だとあきらめていました。

でも人生どこで何が起こるか分からないものです。就いていた仕事で労働ビザを申請して、てっきり労働ビザをもらえるもんだとタカを括っていたある日、弁護士から連絡があり『恐らく労働ビザはもらえないだろう』と。頭をがーんとハンマーで殴られたような気分でした。空気が薄くなるというか、あぁどうしようと言う言葉が頭を駆け巡りよく実感の沸かないまま職場の教室に戻ったのを今でもよく覚えています。

仕事を終えて帰宅してから本格的に頭を抱え込みました。恐らく半年で正式に却下の通達が来るからそれまでに身の振り方を考えておいてください、と弁護士は軽く言うのですがそう言われても、もうどうしたらいいのやら。頭を120%稼働しているような、でも実際は何も具体的に考えられないようなとにかく焦るばかりのとき、友人がふと『大学院行きたいっていつも言ってたじゃない?やってみたら』というんです。そんな簡単に言わないでよーと思いつつ、もしかしたらそれが正解というかそれしか道はないのかもしれないと思いました。

そうとなったらあとは突き進むばかりです。この決心をしたのは11月の終わり。調べてみると、大学院の多くは受験締め切りまで一ヶ月を切っています。とにかく、『焦るな、焦るな』と自分に言い聞かせ、まず受験する大学院を選びました。専門は学部の時から教育学なので、まずそこにしぼり、次はGRE(大学院を受験する際に課される試験)が必要でないプログラムを選びました。GREというのは、多くのアメリカの大学院で受験することを義務づけている試験で、英語と数学からなっています。その試験で何点以上というのが受験資格になっていることが多いのですが、私は留学生枠になるのでこの試験の他にトーフルを受けなくてはなりません。締め切りまで2ヶ月として、この二つの試験で満足なスコアをとるための勉強を、フルタイムで働きながらすることは無理だと判断しました。なので受験の際GREのスコアを出さなくていい大学院を選ビ、トーフルの勉強に専念しました。

同時に卒業した大学に成績証明書を依頼し、それをアメリカの大学基準に振り替えて評価してくれる機関に送ります。世界各国から学生が来るので、果たして学部の卒業証明にそれだけの価値があるのか、まがいの名前だけの大学ではないのかと言うのをアメリカの大学関係者が判断するために、世界の大学を評価する民間企業があるのです。

またまた同時に、今までお世話になった先生方に推薦状を依頼しました。推薦状は多くの場合大学院に直接送付するようになっています。私の場合は、アメリカで取った資格勉強の際にお世話になった先生方に依頼しました。大体の大学の先生は推薦状を書くのは日常茶飯事なので、あまり恐縮せずに頼んでも大丈夫です。

そしてトフルの試験のための勉強を続け、試験を受けます。このスコアも直接大学院に送られます。試験形式が特殊なので、アメリカに長く住んでいるからとタカを括ってはいけません。

最後に履歴書を作成して、それぞれの大学院指定のエッセーなり決意表明なりを書きます。

全ての手配が整ったら、書類を郵送。あとは大学からの合否のお知らせを待つばかりです。日本の大学入試のような一発試験はありません。留学生なので、英語で面接をした大学院もありました。

結果は100%。受験した全てのプログラムから合格通知を頂きました。実は、修士課程の場合、大学院に入学すること自体はそこまで難しくないのです。ちょっと拍子抜けしました。

11月の末から準備を始め、厳しい冬を乗り越えて春風の吹く頃には進学先が決まりました。しかし、これからまだクリアしなくてはならない大きな問題があります。それは学費です。シングルマザーで、育ち盛りの子供を二人抱え、フルタイムで働いていても最低限生きて行くだけで精一杯。それが学生になって、高い学費を払って、、、なんて今から思うと狂気の沙汰です。

どう言う訳でそのまま進んで行けたのかよく覚えてないのですが、奨学金にも大学のアシスタントシップにも申し込み、節約に節約を重ねてなんとか1年ぐらいは学生生活が送れる目途が立った夏のある日(入学まで2か月を切っていました)、大学院からアシスタントシップに選ばれた旨のEメールが来ました。信じられない思いで内容を読むと、授業料が免除になる上に週20時間の仕事がもらえ、少ないながらお給料ももらえると!

本当に心の底からほっとした瞬間でした。これで、なんとかなる!!実際は『これって詐欺では?』というような事態にもなるのですが、それは入学してからの話です。とりあえず、こうして無事に大学院入学の日を迎えたのでした。

永遠の愛?!

今回は今朝ほど読み終わった小説についてです。

外国で、外国人に混じって勉強する時に大変なことの一つが物を読むことです。教育学の大学院生となると、読んで理解しなくちゃいけない本や資料や論文の山は永遠にエベレストです。最近ではベッドにまで教科書を持ち込んで寝るまで読み続けていた私。さすがに疲れてきて、たまには眉間にしわのよらない本を読みたいなーと考えていたところ、クラスメートの会話がふと耳に入りました。

『タイムトラベラーズワイフ、読んだ?』『読んだ、読んだ。泣いたよー。』

ふーん、そんなにいいんだ、なら読んでみようと、早速図書館で借りてみるとこれがすごく分厚い本。当分楽しめそうだわ(簡単な小説でもやっぱり時間がかかる)、と読み始めてから二週間。今朝、どうしても終わらせたくて子供を学校に送ってから読書に戻り無事完読。

で、どうだったかというと。泣いた??いえいえ。むしろ怒っている私。調べてみたら2003年に出版された本で、日本語版も出ているしとっくに映画もDVDになっているようなので今更この本に熱くなっているのは恐らく私ぐらいだと思うのですが。それにしても!

内容はラブストーリーで、自分の意志と関係なく時間の後先に飛んでしまう主人公と、その主人公を6歳の頃から知っている(未来から会いに来て)奥さんのお話。奥さんは普通の人ですが、6歳の頃からたまに会いに来る未来の旦那さんが大好きでいつも彼がやってくるのを待っています。そして21歳の時、ついにタイムトラベルしていない現在のご主人と出会い大喜び。これで数分の不定期な出会いを待ち続ける日々は終わったわ、と。でも、今度はご主人の訪れを待つのではなく、ご主人がふと消えてしまうのを見守る側になるんです。そしてご主人の無事な帰りをまた『待つ』日々。なんとなく、本の途中からご主人は43で死んじゃうんだなーというのは分かります。で、実際それが起こった後、が問題なんです。

亡くなったご主人を想い、泣き暮らす奥さんが見つけたのはご主人からの手紙。「君は散々僕を待ち続けた。僕が死んだら、もう待つのはやめて欲しい。そしてどうか泣き暮らさないでキラキラと生きて行って欲しい。」と言うようなことが書いてあり、うぅ、泣けると思っていたのですが。『ここで未来のことを一つだけ伝えたい』。あぁ、きっと奥さんがまた幸せになって、もしかしたら長年彼女を密かに想い続けていた男友達と一緒になってるのを見たよとか教えてあげるのかな。いいえ!『先日、遠い未来の君に会ったんだ。君が年を取ったとき、僕たちはもう一度会えるよ。』って。えええええ!!それはないでしょ?!と思いました。

だって、だって、それでは奥さんはいつになるかわからない、そして会えるったってたった数分であろうその未来をまた『待ち』続けることになるんです。結局結末は奥さんが82の時に、亡くなる前の43のご主人が会うというところで終わるのですが。。。37(ご主人が亡くなった時)から82まで45年間、辛かっただろうなと全然別の意味で泣けてきました。

ただの小説、と言うのは十分分かっているし、分かっていながらこんなにカッカしてしまうのはやはり作者の力量と言うものなのでしょう。そう言う意味では読み応えのある小説でした。でも、何だかすっきりしません。

自分だったらどうだろうとふと考えてみました。私がもし彼より先に死ぬことになったら。ずっと私を想って元気なく暮らしているよりは、他の誰かと笑顔で生きていて欲しいかな。あ、でも、完全には忘れないでたまには私の夢をみたりしてほしい、かも。ずっと不本意にタイムトラベルをして来たご主人も、もしかしたらこんな気持ちだったのかも、知れませんね。カッカとした気持ちが、ちょっと収まりました。

メディテーション

今回は困った時の対処法についてです。

精神的に『もうおしまいだ』と思うことはありませんか?精神的とわざわざ書いたのは、私の場合全く同じ状況でも心が折れてしまうととたんに駄目になるからです。今までコーナーに追いつめられたような、もうにっちもさっちもいかない状況に何度か陥りました。労働ビザの申請がうまく行かず、どう考えてもアメリカで生き残って行く目途が立たなかったとき。生活費を稼ぐたよりにしていた仕事から外され、明日の子供達の食事を用意できるかも分からなくなったとき。自分がしていた恋愛が全く間違っていたとハタと気づいてしまったとき。そんな時でも、心さえしっかりしていれば必ずや進む道は開けるんです。

でも、同じ状況、又はもっとましな状況でも、心が『もう駄目だ』と思ってしまったら駄目なんです。例えばお財布に75ドルが入っているのを見て『あ、今週も無事に食糧を買いに行ける』と思う時と『やだ、今週食糧買っちゃったらもうおしまいだ』と思うとき、そんな違いです。引き寄せ、ではないですが後からみると、今週もオッケー!的な考え方をしている時の方がいろいろうまく行くんです。うまく行かなくても少なくとも同じ時を幸せに過ごせているんです。

要は、「気の持ちよう」なんだな、という結論に達してから、だったらどうやって心をいつも地面から5センチ浮いたような状態に保てるんだろうかとあれこれ考えたり、読んだりしてみました。

そして見つけた方法はメディテーション。日本語で言う瞑想ですが、私の軽い気持ちには英語のメディテーションという語感がぴったりです。メディテーションには興味があり、絶対によい効果があると思ってはいたもののいまいちハードルが高い、というかどんな本を読んでもしっくり来なかったのです。そんなある時、飛行場で『10%Happier』という本を見つけました。裏を見てみると『パニック障害に苦しんでいた著者がどうやって瞑想と出会って復活したか』とあり迷わず購入しました。当時はまだたまにパニック発作が起こることもあり、飛行機は機体を見るだけで目眩がしていました(飛行場にいたのは、娘達だけを飛行機に乗せるためでした)。そんな世界で一番避けたい場所で出会っただけに何か運命的なものを感じて買った本ですが、文化的な要素が多くて分かりづらかったものの、私が感じていたメディテーションハードルを見事ぐいっと下げてくれる素晴らしい本でした。

それからはいつでもどこでも気軽にメディテーションをするようになりました。だからといってハードな現実がいきなりバラ色になる訳でもなく辛いことはやってきます。でもそんな時こそ、メディテーションの出番です。とりあえず座って、直面している問題のことは考えず、頭を空っぽにしたり簡単な言葉を繰り返したり、とにかくひたすら座り続ける。そうすると、『どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう』と焦りまくっていた心がすこーしづつ落ち着きます。そうなったら後はひたすら粘って、『でもきっと大丈夫』と思えるのを待ちます。

前述した通り、一番困難なのは苦境を乗り越える方法を見つけるのではなく、立ち向かうために心をしっかり保つことなんです。そこさえできれば、後は『きっと大丈夫』。過去のことは考えても仕方ない。未来のことはもしかしたら明日死ぬかもしれないんだから心配しても仕方ない。とにかく今を大事に、幸せに。メディテーションをするようになってから、こんな風に気楽に生きることができています。

 

なんで生きてるんだろう、と思うとき。

今回は深くて浅いお話です。

人間40年生きてくるといろいろなことを経験します。夜眠りに落ちる時『どうかこのまま目が覚めませんように』と願ってしまうようなことだってあります。でもそんなこんなを乗り越えて今日も心臓が規則正しく動いてきちんと呼吸して生きている、でもそれってどうしてなの?と思うこと、ないですか?『生かされている意義』っていうか。

スピリチュアルな話がけっこう好きでそう言う本をよく読むのですが、多くの人が『この世に生きているのには何らかの目的がある』って言いますよね?又は、魂がこの世に生まれてくる時に『今回の人生ではこれをしよう』と決めて来るとか。その真相は分からないのですが、最近思うのは私の人生の課題(の少なくとも一つ)は嫉妬心を克服することなんじゃないかなぁと言うこと。

嫉妬って思うに二種類ありますよね。一つは妬みと言ってもいい、誰か他の人が持っているものが羨ましくてしょうがない、という。もう一つは藁人形が活躍する、男女(いつも男女ではないかも知れませんけれど)間のあの強いて言葉にすれば心がちぎれるような恨めしいあの感情です。私はどちらも十分すぎるほど持っています。でも、今一番なんとかしたいのは藁人形系の感情です。

どうして私がそれを『人生の課題』だなんて大げさに捉えるかというと、その感情を発揮できるような状況や関係に陥ることが多いからです。こんだけ繰り返されるって言うことは何か大きな存在が『これでもかっ』と次々ハードルを設定しているに違いないと思うんです。

古くは結婚していた時、毎年必ずヨーロッパに仕事で滞在していた旦那さんが実は現地に彼女を作っていたんです。それはそれは苦しみましたがあまりに古いので詳しくは割愛します。で、一人になってから出会った(当時の私には)この世で一番素敵な男性には奥さんがいました。それを知りながら、経験者の友人の必死な説得等をものともせずに付き合ってしまった私。毎日毎日、その彼とやり取りをしている時間以外はまるで地獄のようでした。今から思うと王道まっしぐらの、彼の奥さんについてのネガティブなコメントにしがみついて、だったら私の方が何倍もいいじゃない、きっといつか。とあり得ない未来を追いかける日々。あぁ、お馬鹿さんと思うのですが、こればっかりは自分で経験しないと理解できないことでした。

で、晴れて離婚歴ありという以外何のしがらみのない今の彼と出会い付き合い始めた私。それでも、ただでポンッと幸せをくれない「何か大きな存在」が。まず私達は遠距離恋愛です。そして彼は一度目の結婚からのあまりの痛手で、もう二度と結婚はしたくない、と。それだけならまだ理解できるのですが、20年間虐げられた日々を取り戻すために自分はいつでも自由でいたいというのです。その『自由』の中には異性関係も含まれます。要するに何かの弾みで誰かと一晩過ごしても、それで私に対して罪悪感を感じるような関係はいやだと。それってただの男のわがままでは?!と強烈に思うものの、その点以外では何も申し分のない彼。(そして現時点では私達の関係も少しずつ進展し、実際そのような事態は起きていません。)この性格で、この状況で付き合って行くのは、とっても大変なことなんです。例えば、女友達。私より10年長く生きている彼には、当然のように女の友達もいます。私にも友達として気の合う男性はいます。でも、なかなか会えない彼の口から『今日はあの子がちょっと寄ってくれて』なんて言う話が聞こえてこようものなら、あっという間に不機嫌になり、電話は感じ悪く切るわ、それから悶々と考えて『その人のほうがいいんじゃないの』なんて思ってもいないEメールは送りつけるわ、挙げ句の果てはEメールの返事が来ないことにやきもきして『話したいんだけど』ってテキストして、その返事が3分以内に来ないことに逆上する、というもう手のつけられない事態に。

または、金曜日の夜、子供達に付き合ってちっとも面白くない子供映画を見ている時に『今、飲んでるんだよ』って言うテキストがきたら。頭の中には彼がバーにいて、そこに恐ろしくスタイルがよくて美人なのに、頭も性格もいい素敵な女性が現れる様子がくっきりはっきり浮かぶんです。動悸までして、『これはもう間違いない』と映画そっちのけで妄想し続ける地獄の2時間。

どちらの時も実際はなんと言うことはなく、彼の女友達は私に会いたいと言ってくれて日本語で自己紹介ができるように練習してくれてたり、彼は家で一人でビールを飲んでるだけだったり、なので自分の脳みそで自分を苦しめているだけなんです。これって、とっても疲れます。そして恐らく彼のことも疲れさせています。

これだけ、嫉妬する要素の多い人間関係が続くというのは何か意味があるのでは?と考えるのと同時に、この嫉妬心がなくなったら私の幸せ度がもっと上がるのでは、とも思うんです。嫉妬=執着と言うのは恐らく正しいと思います。でも、どうやったら心から愛する人に『執着』しないで、それでも愛せるようになるんでしょうねぇ。確かに自分の子供は執着しないで愛していますが、それとこれとは大違いだし。等々考え込んでいるものの返事のでない今日この頃です。

日米対決!ローストビーフの作り方

今回は春のような陽気に誘われてウキウキなお話です。

先日、娘が風邪をひきました。例年になく暖かい今年の冬。2月とは思えないぽかぽか陽気のその日に、なんで?!と思いましたが(子供が体調を崩すと、『かわいそうに』より先に様々な予定のやりくりが浮かんでむっとしてしまう駄目な私。)、まぁきっとそのコロコロ変わりすぎるお天気が原因なんでしょうね。

ともかく、コンコンと咳をする娘のかたわらで彼と電話をしていると『君は絶対に風邪をひかないようにね!』と。うん、大丈夫だから、あなたの嫌いな漢方薬も飲んでるしうん、うんと適当に流していると『いや、君はちっとも分かってない!!絶対に風邪をひいちゃいけないんだ。なぜなら、なぜなら(クーッ言いたくなかったけど)来週僕が遊びに行くから!』

間に州を3つ挟んで住んでいる私達にとってお互いに会えるのはとても貴重な時間です。彼は2週間も前に飛行機の切符をかったのに驚かせるためにずっと黙っていたんだとか。それはそれは嬉しい反面、えっあと3日しかないじゃん!と言う焦りと(家中を見渡して)、風邪ひかないでって私が辛いからとかじゃなくて自分が遊びに来るから、なの?!いいの??それって喜んどけばいいことなの?!とやや混乱してとりあえず電話を切りました。

彼は大体月に1回遊びに来てくれるので、その時は大張り切りです。もしかして彼と一緒に過ごす時間と同じくらい準備している時間楽しんでいるかもしれません。アメリカ人だけど、和食も大好きな彼のために毎回あれこれ作ります。今回はスーパーに買い物に行ったら、大きな固まりの牛肉がセールになっていたのでローストビーフを作ることに。で、張り切って買って来たのはいいのですがはて、ローストビーフってどうやって作るんだっけ?

ローストビーフって確かすごいごちそうで、日本でだったらお正月に食べたり、確かアメリカ人の友達がクリスマスにすごく美味しいのを作ってくれたっけ?という程度の記憶しかなく、早速大の仲良し二人(アメリカ人一人、日本人一人)に聞いてみたところ。

アメリカ人からは『あー、それはね、できるだけ高い肉買って来て、塩つけてオーブンに入れればいいの。簡単よ。』と1行のメールが。

日本人からは『えー、それは時間かかるよぉー、大変だよ!』と言う前置きに続いて『肉を室温に戻して』に始まる長大なレシピが。

もちろん個人個人の性格も大きく影響しているのですが、この二人の答えは日米の国民性をよく表していて大笑いでした。さて本番の明日、どちらのレシピを使うことになるでしょう。。。

マイコー

今回はちょっとおかしな日常の会話です。

今日、下の娘が晩ご飯の時に

『ママ、マイコーが全然よくならないんだ』って言うんです。英語で。

ちなみに我が家は私のずぼらな性格のせいで子供達の日本語力はあんまり高くありません。上の娘とは日本語で会話をしますが、下の娘の時は最初のやる気がかなりなくなっていたのでいい加減になってしまい、ついつい英語でもまぁいいかで過ごしています。で、会話の続き。

『エー、そうなんだ、マイコー(マイケル)も風邪ひいちゃったの?かわいそうに』

『ママ、どうして突然マイコー(マイケル)がでてくんの?』

『あの子とってもいい子だから、風邪ひいちゃってかわいそうにと思って』

と、ここまで来た時に娘達がお味噌汁を吹く勢いで笑い出したんです。下の娘が目に涙を溜めてひーひー笑いながら『ママ、いい加減に人間の耳つけてよ!』って。なにを失礼な?!と思ってよくよく聞いたら最初のマイコーはマイケルのことじゃなくて、マイコールド(自分の風邪)のことだったんです。

やだーっと笑いながら、おのれ日本に遊びに行った時には見ておれ!と思ったのでした。

いやいや、昔から。。。

今回はアメリカの田舎町の図書館事情です。

むかーし昔、定期テストの前の週、又は前日に『分かっちゃいるけど勉強できない』病によくかかりました。明日がテストなのは分かってる、でも、でも、どうしてもやる気が起きない。後で焦るのも、テストを目の前にして頭が真っ白になって大後悔するのも全部分かってる、でもどうしても今この瞬間にベッドから起き上がって机に向かう気がどうしてもしない。そしてしばしの現実逃避のためにマンガに伸びる手。

その結果どんな痛い目にあったのかはちっとも覚えていないのですが、このなんともイヤーな気分はよく覚えています。そして、数十年経った今でもこの分かっちゃいるけど病によくかかっているんです。全く同じ気分を抱えて。

通っている大学まで車で1時間以上かかります。そして春学期の始まる1月の終わりから真っ最中の3月終わりまでこの辺りは大雪に見舞われることが多く、山の中の細々としたあまり雪かきもされていない道を行くのはかなり危ないんです。教授の一人が『幼い子供がいる身で死んじゃいけない!』と心配して、春学期はできる限りオンラインコースをとりなさいとアドバイスしてくれました。という訳で大学に行くかわりに自宅でお勉強。あぁなんて楽チンなんだろう!!

と思っていたのですが、そこには強敵がいたのです。それは自分自身。月曜日の朝一番にオンラインコースの新しいコンテンツが公開になります。最初の課題は毎週水曜日が提出期限、次は金曜日、そしてまとめの大きな課題は日曜日まで、と全く息つく暇なく進行して行きます。ほとんどのコンテンツは自分で論文や本を読むものが多く、英語で本を読むのが遅い私にはハンディもあります。月曜日の朝一番から、がっつり取り組まないとてんてこ舞いになるのは、、、分かっているんです。ほんとうに。

だから早速パソコンを立ち上げ、、るまではスムーズに進むのですが、気がつくとお気に入りのショッピングサイトをのぞいたり、ソーシャルネットワークにコメントしたり(あら、近所で飼い犬が行方不明?大変だわ、シェアしてあげなくちゃ)、ネットオークションの品物が売れたかチェックしたり、私のブログ誰か読んでくれたかな?とワクワクしたり。気がつくと、あっという間に45分ぐらいたっているんです。こうなると、もうますますやる気がなくなり、他の生徒がガンガンコメントを載せているであろうディスカッションページを開ける気もせず。

そこで考えたのが、公立図書館へ行くことです。そこにあるパソコンを使えば、さすがの私でもあまりにもプライベートなサイトや、クレジット情報を載せているサイトには飛びたくありません。これはなかなかよい作戦でした。人の目があるお陰か、他のサイトを見たいなという誘惑すら起きず、私はこうやって真面目に勉学に励んでいるのです、という体を装って、ふりだけでなくオンラインコースにかじりつくことができます。

今日で4週間図書館に通い詰めて、だんだん周囲を気にする余裕がでてきました。気がついてみると、この町の公立図書館はかなり不思議な場所でした。まず平日の午前中にも関わらず、ものすごい混みようなんです。それも、働き盛りであろうと思われる年代の人も見かけます。一体ここで何をしているんだろう?と思って、ちょっと罪悪感を覚えつつ熱心にのぞいているパソコンのモニターを見ると、「ふぇいすぶっく」??なぞです。もしかして、仕事をクビになっちゃったのを奥さんに言えなくてここで一日時間をつぶしてるとか?と余計な心配をしかけましたが、まさかそんな人が町中にこんなにいるはずもありません。

そして私の隣では図書館だって言うのに声高にどうでもよいことをしゃべり続ける女の人が。最初は『ちょっとうるさいな』と思っていたのですが、途中から何をそんなに熱心に話しているのか気になってちょっと聞いてみたところ、

『私のね、お気に入りのピザ屋さんはここから3番のバスに乗って、ダウンタウンで下りてちょっと歩いたところにあるの。そこのなにが美味しいって、ピザの包み焼き。カルツォーネって言うの。最初はカルツォーネってなんだ?って感じだったんだけど、あるとき彼氏が間違えて注文しちゃって食べてみたらそれが美味しくて。うちのネコまで床に落ちたかけらを食べたわ。ネコは4匹いるの、名前は、、、』

と、この調子で続く続く。声の調子や話している内容からは一体何歳ぐらいの人なのかちっとも分からなかったのですが、見てみると高校生ぐらいの女の子。しかもかわいい。話している相手は恐らくソーシャルワーカーのようで、想像するにフォスターケア(実の親が事情があって育てられない場合にあてがわれる仮親)の週刊報告をしているようなんです。

そうかと思うと、『そのコンテンツはここでは見られません』と叱られているおじいさん。高校卒の資格を取るためにオンラインで勉強している男の子。すごい大音量で音楽を聴いている黒人のお兄さん。子供を連れたお母さん達に、熱心にレース編みをしているおばあちゃん。暖をとるためにだけいるホームレスの人もいます。よくよく見回すとありとあらゆる人が集まっていて、みんなそれぞれの時間を過ごしてる、何とも心地よい空間です。

私の通っている大学では、過去2年間で物理的な本が貸し出されたのはごくまれで、今では置いておく場所がもったいないから、全部デジタル化して図書館の建物をつぶそうという計画があります。でも、図書館ってただ本が置いてある場所ではないですよね?こんな素敵な空間がなくならないといいな、と思います。