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すずめ日記

アメリカ田舎生活。いろいろあるよね。

英語ってどうやったら話せるようになるんでしょう その弐

アメリカ生活

今回は私が試して役に立った英語勉強法のお話です。

今日は大学院の課題を一つ仕上げました。7ページ分のレポートで、自分で書いた後にいつも私の英語に関することをいろいろ手伝ってくれる友達に一緒に読んでもらいました。結果、『間違ってはいないけど言いたいことがよく分からない』ところや、冠詞が違っているところ、単数複数の使い方が違っているところなどなど後から後から直されて相当落ち込みました。

英語をきちんと、アメリカ人のレポートに混じっても分からないぐらいに書いて、自分の言いたいことを淀みなく伝えるようになるにはまだまだ長い道のりがありそうです。

こんな前置きを書いてしまうと、私のした勉強法なんてあんまり参考にならないんじゃないだろうかと自分で思ってしまいますが、まぁこれでも昔に比べればだいぶましということで、前回のその壱の続きを書きたいと思います。

英語に限らず、恐らく外国語全般は実際に使うことで飛躍的に上達すると思います。でもそれだけでは足りません。何かを習得する時のその人のタイプにも寄るのですが、私は一度頭で理解しないと先に進まないタイプ。と言う訳で日本からある本を取り寄せました。その名も『英語耳』。英語勉強の本は星の数ほどあるけれど、この本を気に入った理由は、音の感じや作り方が分かりやすく書いてあったこと。音一つ一つを丁寧に解説してあって、全体像も分かりやすく、それまでの本にあったようなまるで英語の樹海に放り込まれたような混乱が全くなかったことです。その本にもあるように、英語の音を習得するのはスポーツの練習と似ています。テニスの素振りを頭で考えなくてもできるようになるまでには、筋肉がその動きを覚えるまで繰り返し練習することが必要です。大人にって英語の音を習得しようとする場合、それと同じような地味な練習がひたすら必要です。一人の経験からなので、絶対こうだ、とは言いませんが『聞くだけで自然と英語がぺらぺら』ということはかなりの確率であり得ません。前回書いた、リテラシープログラムで知り合った友人と会って練習するたびに、発音のおかしい音を指摘してもらい(最初の頃はほぼ全ての母音が不正確でした)、その音を集中して練習する、ということを半年ほど続けたでしょうか。

そのお陰でこの音を作ろうと思ったらこういう風にするんだ、ということが理論的に頭で理解でき、その後の反復練習で音が自然と作れるようになりました。そんな風にテレビゲームのように身につける武器をどんどん増やしていって、今に至るんだと思います。今でもよく使う単語以外はスペルを頭に思い浮かべて発音しています。LなのかRなのか、お米(rice)なのかシラミ(lice)なのか、BなのかVなのかは未だ微妙なところです。

昔は国際結婚をしている人はみんな英語がぺらぺらなんだと思っていたものです。でも実際のところを見てみると、そんなことはないんです。一度カナダ人と結婚した友人に失礼ながら聞いたことがあります。『英語で不自由ないの?』って。彼女曰く、言葉以外で通じるところがあるそうなんです。ふーんそんなもんなんだ、と思っていたのですが実際自分がアメリカ人と親しくなってみると、やはりうーん、と考えてしまいます。海外のあちこちで日本語を学んでいる外国人の友人もたくさんできました。みんなそれなりに上手だし、中には漢字まで書きこなす人もいます。でもね、どうしてもその友人達と長くいると疲れちゃうんです。自分の母国語をたどたどしく話す相手と長時間過ごすのは、自分があまりしゃべれない言葉の環境にいるのとほぼ同じ労力を要します。ふとそれを思い出す時、私は彼に聞きます。『ねぇ、こんな言語不自由な人と一緒にいて疲れない?』って。また、同じような英語レベルでこれまたアメリカ人と付き合っている友人と『私達が日本語でしゃべっていることを知ったら驚くだろうねー』ってよく言っています。

そして前述の質問に対する彼の返事は『うん、そこがいいんだよ』。もちろん冗談めかして言ってくれるのですが、もしかして冗談じゃなかったりして。。。。