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すずめ日記

アメリカ田舎生活。いろいろあるよね。

近くて遠い——遠距離&国際恋愛に思うこと。

今回はいくつになっても恋は恋、というお話。

今日は、遊びにきてくれた彼を見送りにボルティモアまで行ってきました。私の彼は4つ離れた州に住んでいます。飛行機で2時間弱、車だと10時間ぐらい。立派な遠距離恋愛です。年は10歳上の50歳。

自分がまだ若かった頃、例えば20代前半とか、20年後の自分がバツイチで外国に暮らしていて子供を一人で育てていて大学院に通っていてアメリカ人と恋愛しているよって誰かに言われたら、きっと大笑いしたと思う。特に、40歳になってもまだ『恋愛』?勘弁してよーって。

離婚して、また『恋愛』をしてもいいんだと思えるようになったとき、それでもさすがにこの年なんだし若い時とは違って落ち着いた大人の恋愛をするんだろうと思っていたけれどそれは大間違いでした。40歳でも50歳でも、誰かに愛されたら雲の上を歩いているような気分になるし、きれいだよって言われればもう誰彼かまわず笑顔で挨拶しちゃう。そんな恋愛のウキウキ気分は年に関係なく起こるんです。そして当然恋愛のダークな部分も年に関係なく起こる訳です。

私の場合、一番の悩みは猜疑心と嫉妬心。恐らく自分で分析するに私のような性格には遠距離恋愛というのは一番向かないのではないでしょうか。彼の些細な一言から妄想を紡ぎだしては『今頃誰かとあんなことをしているに違いない』と確信しては自分一人で苦しんでいる、という。ご近所ですぐに会いにいけるなら良いけれど、4つ先の州で時差も1時間、となるとそう簡単には行きません。また現在のことに限らず、例えば彼が『そう言えば昔、こんな女の子とデートして。。。』みたいな話をしようものならその映像がずーっと頭から離れず、一人で勝手に目に涙を浮かべては『いや、でも君と比べれば全然』とかなんとか言ってもらえるまで壷に隠れている、という蛸も真っ青な厄介な人なんです。

人生いろいろを経た大人のさがで、私も彼も簡単には引っ越しができない環境にいます。(アメリカは離婚した後の親に関しての法律が大変厳しいです。)会えるのは月に一度か二度なので、お互いにその時間をとても楽しみにしています。今回も、仕事のスケジュールやら子供と過ごす時間、ペットの金魚の世話等々を調節して彼がはるばる会いに来てくれました。期間は4日間。

何日も前から家中を掃除してご飯は何を作ろうかと考えて、頭の中には46時中古内東子の流れる乙女な時を経て、ようやく当日!3時間も運転して飛行場まで行くのは眠いけど楽しい!4日後に同じ道路を一人で運転して帰る日のことは、、、考えない、考えない!!小さい子供が次の日の遠足が楽しみすぎて眠れなくて当日具合が悪いのと全く同じで、張り切りすぎて楽しみすぎて心がいっぱい。

だからなのか何なのか普段離れているときよりもいろんなことに敏感になっちゃうんです。そして恐ろしいことに、私の嫉妬心は離れている時にとどまらず、一緒にいても大活躍なんです。例えば、今車のない彼が、空港まで行くのにいつも車を借りている友達から借りたという話を聞くと、その友達が女性だというだけでものすごくつまらなく思うんです。50歳になる人が異性にも友達がいるなんて、そんなの当たり前だし、彼は以前にその人には何にも異性としての興味はないんだよって説明してくれてるのに。更につまらなく思うかたわら、せっかく遊びに来てくれている貴重な時間をむだにしているって言う焦りもあってもうどうしたらいいのか分かりません。

その焦りに更に拍車をかけるのが英語です。普段のやり取りはテキスト、又は電話の私達。テキストはもちろん文字だし、電話も基本的に話すことに集中しているのでやり取りに困ることはほとんどありません。辞書を引くことは多々あるけれど。なのに、面と向かうと『え?なんて言ったの?』って聞き返すことがとても多いんです。私が聞き返すだけじゃなく、向こうに聞き返されることも。しかも疲れてくると私の英語力はがた落ちです。例えば疲労マックスの今日の夕方の車内の会話。

彼『何かプラネタリウムですごい映像見てからお腹が落ち着かないんだよね』

私『え?そうなの??イタリアン??』(って、いつイタリアン食べたっけ??)

後部座席に座る娘達『ママ、プラネタリウムって言ったんだよ!!!』

これは相当落ち込みます。自分が情けなくて嫌いになるのはもちろん、どうしてこの人はわざわざ星の数ほどいるアメリカ人ではなく、言語不自由の私と付き合ってるの?さすがに今回は『こんなに大枚はたいてわざわざ来たけど、疲れんな』とか思ってるんじゃないかしら、あぁもうどうしたら?!と焦りは募るばかり。

それでもそんな気配は微塵も見せずに『とっても楽しかったよ、ありがとう』と彼は帰っていきました。その後ろ姿を見送りながら、ものすごく寂しくて悲しい気持ちとどこかほっとした気持ちを持てあぐねる私。

いつも彼と会った後はいろんな感情が渦巻いてとても落ち込むので今回は文字にしてみました。落ち込むのは、ここに書いたことだけが原因ではないけれどでも、一部でも書いたらいつもより落ち込み具合がまし、なような気がします。

 

How Time Flies!

今回は、時間は本当にあっという間?というお話。

今朝ラジオで『時間というのは不思議なもので、苦痛な時に長く感じたりその分の時間が過ぎ去ったことにびっくりするようなこともある。特に子供の成長にそう感じる親が多い、云々』というリポートが流れていて、ふんふんと何気なく聞いていたのだけれどその夜にこんなことがありました。

今日の夜は娘の通う学校のMuseum Night と言うイベントでした。どう言うものかというと、子供達一人一人が自分の好きなものやことに関してリサーチをしてそれを博物館の展示のような形で発表するというもの。娘は2ヶ月以上も前からこのイベントに向けて準備をし、『テーマは絶対に秘密』と言いつつ彼女の大好きな蛸に違いない、と思われる言動がここかしこにあってそれはそれはかわいいったら。

そんな娘の発表もさることながら、私には別の楽しみが。少し前まで娘の通う小学校併設の幼稚園で教えていたので、そのまま持ち上がりで小学生になった子供達の多くが元教え子なのです。幼稚園の先生というのは、大学の先生の反対で、生徒の全員から深く愛されるという至極幸せな職種です。みんな『先生大好き』のまま卒園していくので小学校2、3年生のちょっと生意気ちゃんになっても幼稚園の先生の前ではなぜかかわいい5歳児に戻るんです。だから、ちょっと成長した元教え子に会えるのがわくわくだったんです。

娘の発表をまず最初に見せてもらいました。思った通りテーマは蛸で、蛸の生息が自分でタイプして印刷した紙に事細かに書いてあり、横には色紙とビーズで作ったきれいな蛸の工作も展示してあってなかなか上出来。その時点で、はさみもろくに使えなかった数年前の娘を思い出して涙腺ゆるゆるの私でした。だって考えてもみてください。普段は日常に紛れてすっかり忘れているけれど、生まれたばかりの赤ちゃんはただ寝ることしかできないんです。少なくとも外から見る限り。そんな芋虫に毛が生えたような状態から、体の器官がひとつひとつ成長して動きのコンビネーションが複雑になって、言葉を操るようになりそして今晩は、自分の知らなかったことを調べてその知識を他の人に伝えているんです。本当にいつの間にこんなに大きくなっちゃったのかしらと感無量でしょ?

そして見渡してみると、同じく芋虫から人間になろうかという頃に出会った、本当に小さかった私の生徒達がみんな同じように成長してそれぞれの知識を披露しているんです。『あ、先生来てくれたのー?ねぇ、見て、私ミミズについて調べたの』なんて言って、いっちょまえにマニキュアを塗った指でミミズの模型を持たせてくれたり。幼稚園の頃は、教室にハエが出たって大泣きしてたのに。一人一人、私の教室を去ったあとにうちの娘と同じ時間を過ごし、毎日頑張ってご飯を食べて学校に通ってここまでになったんだなぁって。そう言ういろいろを込めて『頑張ったね』ってやや潤んだ目で発表を見せてくれた一人一人に言う私に、『え、こんなの何も先生泣かなくたって』と不思議そうな生徒達。

人間ってやっぱりすごいな、と教師の頃いつも思っていたことを思い出したのと同時に、時間はあっという間に過ぎてしまうような気もするけれど一分一秒にものすごい大事な意味があるんだな、と思いました。芋虫達をミニ人間にした同じ量の時間を、大人は無駄にしてしまうこともあるけれど、いくつになっても一瞬一瞬を全力で生きていたら生涯現役でいけるんじゃないかしら。そうしよう!

朝のラジオから始まって、時間について考えさせられる一日でした。最後に強い決心をしたけれど、振り返れば今日は『無駄』にした時間が多い一日だったなぁ。。。

英語ってどうやったら話せるようになるんでしょう?!その壱

『英語が話せたらいいなぁ』って高校生の頃からずっと思っていました。ペラペラと英語の教科書を音読するバイリンガルのクラスメートを見てめまいがするほどうらやましかった!学校で習う読んだり書いたりじゃなくて、外国人と楽しそうに会話するって言うのが何ともかっこ良く見えて、、、というような思いはたいていの人は経験があるかもしれません。

まだまだ英語で苦労することは多いし、娘達に『プッ』と笑われることもあるけれど、曲がりなりにも日々日本語のない環境で生活し、大学院で勉強し、アメリカ人とお付き合いしている今日この頃。英語ペラペラにあこがれてた高校生の自分が今の私をみたら『あ、この人ぺらぺらっ』て誤解するかも、フフっ、と思えるまでどうやってたどり着いたんだろう。なんてことは普段は考えることはなく、何となく気がついたらラジオのアナウンサーが言ってることが分かるなぁという感じなのです。例えて言えば、成長期の頃、自分が成長しているって言う実感はないでしょ?でも気がついたら背がだいぶ伸びていたって言う、ちょうどあんな感じです。

でも、もしかして私の歩いてきた道程を記録しておいたら参考になる方もいるかも知れない、いなくても自画自賛のために書いとこう、けっこう苦労したし。

アメリカに来た当初、私のしていた大きな誤解は『とにかく外国にいて、日々英語を聞いていたらできるようになるだろう』というもの。テレビとラジオを使って、浴びるほど英語を聞きました。毎日、毎日3年間。それ以外に英語のためにしていたことと言えば、友達と話すこと。当時住んでいたのは日本人も多くいる大学町で、普段アメリカ人と接する機会はほとんどなく、友人はみんな外国人でした。

私がこの3年間で得たものは、とりあえず自分の知っている単語を使って英語を話すことに慣れたことです。英語を話せる、と言うにはまだまだほど遠いけれどこれは貴重なワンステップ。なぜなら、日本人の多くは学校教育のお陰で度胸さえあればたいていのことは知っている単語と文法を駆使して、時間はかかっても言うことができるから。リスニングの方はメディアを聞いているだけでは全く上達せず、また会話を交わす相手がネイティブではないというのも大きなハンディでした。

次に住んだのは、日本人はおろか黒人でさえも珍しい白人率97%という小さな田舎町。ここで思い切って白人社会に飛び込んでみるか、どうせ数年しか住まない予定だったので家に引きこもって過ごすか、今から思うとこれは英語力の、そして人生の大きな分かれ目だったんです。当時はそんなことちっとも知らなかったけど。

自分の英語には全く自信がなかったので、最初は引きこもり生活を選びました。でもある時ふと、このままじゃ行けない、友達を作ろうと思ったんです。外国で社会に入るきっかけをつかもうと思ったら、お勧めの場所は公立図書館です。お子さんのいる方は子供の学校もいいけれど、そこで生まれ育った人たちの絆の深いグループがある場合もあるので図書館の方が無難です。たいていのアメリカの図書館には地域で開催される様々な集まりのチラシが貼ってあります。園芸や編み物等の趣味の集まりから、離婚した人や依存症の人のヘルプのグループ等々。その中で私の興味を引いたのは、ママズクラブとリテラシープログラムでした。

ママズクラブは全米の組織で、地域ごとに小さい子供を持つ母親達が集まって毎日何かを一緒にして過ごす、というのが主な活動です。会長や会計など組織もしっかりしていて、中心メンバーが毎日何をするかを月ごとに計画してメンバーにお知らせ。それを見てメンバーは自分の行きたい物に自由に参加できる、というもので、活動は公園や図書館に集まるような簡単なものから、季節ごとの行事までかなりよく考えられていました。最初に参加するときはそれはそれは勇気がいったし、とりあえず数回参加しても他のママ達が何を楽しそうに話しているのかちっとも分からない、というかなり惨憺たるスタートでした。

いくら行事に参加しても、その場で当たり障りのない会話を交わす程度の知り合いしかできないし、何しろみんな同じ顔と同じ名前のような気がして誰が誰だかちっとも分からない。友達ができるなんて夢のまた夢。『そうだよね、何もわざわざ言葉の不自由な外国人と友達になろうって言う人はいないよね』とさすがに落ち込み始めた頃、一人だけ私のことを特別扱いせず普通にたくさん話しかけてくれる人が現れました。短いながら彼女と個人的な話ができて、今度家においでよと言ってもらえたときの嬉しさはよく覚えています。彼女と友達になったことは、私のアメリカ生活の大きな成果であり、英語力が伸びる原動力でもありました。

もう一つのリテラシープログラムも外国人にはとてもありがたいもので、英語を教えたいボランティアと英語を習いたい外国人をマッチさせて紹介してくれるんです。ただ紹介するだけでなくきちんと規則があって、週に最低6時間はマンツーマンの指導をすること、生徒は定期的に試験を受けて成果を報告すること、など、州がお金を出しているだけあってかなり細かく管理されていました。ここで私のボランティアになってくれたのが、その後の私の学びの旅をずっと一緒に歩いてくれることになる友人でした。彼女についてはいつかもっと書きたいです。

この滞米4年目の年に得た英語学習の教訓は、英語は実際に使う(できればネイティブを相手に)ことでうまくなるということと、『どうしても話したい』という熱い気持ちが必要だということです。これは何も外国に住まなくてもできることです。なにかと便利な今の世の中、外国人と知り合ってやり取りをするのは、一歩を踏み出す勇気があれば日本にいたって簡単です。逆に言えば、たとえ張り切って語学留学にでても語学学校の中だけで時間を過ごしていたら思ったほど英語はできるようにならないかも、知れません。

ここまでは英語の旅のまだまだ始まりです。それからの様子は、また次回。

 

What Makes You Beautiful.

今回は人は変われる、というお話です。今いる状況がすごくしんどくて石のように強固に見えても、信じられないかも知れないけれどそれは長くは続きません。

 

車の運転中にラジオでポップソングを聴くのが大好きです。最近のお気に入りは Shawn Mendes の "Stitches" (ちょっと古いけど)。娘達はこんな情けない男の詩がいいなんて信じられない!と言うけれど、かなり注意して聞かないと何を言っているか分からないから大丈夫(?)。ちなみに、あまりな言われようなので歌詞をチェックしてみたら、こりゃぁ情けない詩でした。彼女にふられて縫わなくちゃいけないほど辛い、と。

音楽全般に好きなのですが、ポップソングには勇気づけられたり流行っていた当時を思い出したりとなかなか心をかき乱されます。高校生のころからマドンナのマテリアルガールが大好きで、イヤフォンで大音量にして聴きながらアメリカで生活してみたいなとすごく、すごく思っていたことをよく覚えています。マテリアルガールはいまだに大好きで一日に一回は聴くのだけど、当時の夢が叶ってアメリカで聴くマテリアルガールはまた格別。

もう一曲忘れられないのは、One Direction の "What Makes You Beautiful"。ご存知ない方のために簡単に歌詞を説明すると、ある男の子が女の子に対して『君は自分がきれいだって言うことをちっとも知らなくて、それがますます君を魅力的にしている』って言う、まぁいかにも若いアイドルグループにありがちな歌、と言われてしまえばそれまでなのですが。

この歌がとても流行っていた頃、旦那さんと別居を始めました。旦那さんは日本で働くために帰国。私はわがままを言い通して、娘二人とアメリカでやっていくことに。かなりの決心ではあったけれど、突然一人で全ての責任を肩に乗せたその不安感と娘達への申し訳なさで一日一日を無事に生きていくので精一杯の日々でした。そんな時に盛んに『きれいだ、きれいだ』って言ってもらえる女の子がたとえ歌の中にしても存在することが何だか嬉しくて、同時にあぁ私はもうこういう恋愛のドキドキとか、きれいだって言ってもらってぽっと頬を染めるようなそう言うことは縁のない世界に生きているんだな、とものすごい寂寥感を覚えました。

もう一度シングルに=やった!また恋愛ができる!!というのが大方のアメリカ人の考え方だけど(多分、少なくとも私の周りは)、自分の人生に離婚という大きなバツを背負ってしまって、しかも幼い子供達にそのために辛い思いをさせているそんな私が恋愛だなんだなんて言うことが許されはずがなかろう。と言うのが当時の私の考え方。この歌を聴くたびに切なくて、そしてこれからいろんなことが起こりうる娘達がちょっとうらやましくて、『どうか私みたいにならないように。この歌みたいに言い続けてくれるいい男性と出会ってねー』と心の中でつぶやくちょっとおかしいお母さん。

しかし!人生というのはちっとも先が分からず、自分では想像もしなかったことが起こるんです。そして他人を変えることは至難の業だけど、自分自身は変えることができる。時には変えようと特別に思わなくても、気がついたら変わってたって言うことも。私のきっかけは人との出会いでした。

離婚してから男女問わずたくさんの人と出会いました。たくさんの人と話をして考えを交換するうちに、だんだんと『こうあるべき』と刻み込んだ心の中の岩が豆腐みたいに柔らかくなってきて、30代後半ってもしかして恋愛してもいいのかもと思えるようになっていました。今から振り返ると、『当たり前じゃない!30代後半なんて若い、若い!』と思うのだけど。今となっては、恋愛に年齢制限はないと断言できます。80歳になってボーイフレンドができた素敵なおばあちゃんもいるし、75歳と75歳で3度目の結婚を果たしたカップルだって。

40の今、電話を切るたびに『君はとってもきれいだよ』と言ってくれる男性と知り合えました。めでたし、めでたし。

と終われたらとってもいいのだけど、人と人が関わっていく限り問題というのは限りなくでてくる物で。まだまだ落ち着いてほっと一安心とはほど遠い今日この頃。でも、この歌を聴いて切なくなっていた頃の私を振り返ると大飛躍、と言うことで今日はよしとしよう!

 

サッカー vs.フットボール

ヨーロッパ(主にイギリス)からアメリカに移り住むと、言葉の端々に戸惑います。更にそこに日本のカタカナが加わると頭の中はかなりかき乱されます。例えば、『エレベーター』。日本で20数年、エレベーターをエレベーターと呼び続けたのちにイギリスに引っ越すと明らかに英語っぽいのにこの言葉が通じない!よくよく聞いてみるとみんな『リフト』って言ってるんです。ふんふん、なるほど、英語ではエレベーターじゃなくてリフトなんだ、と頭の中を書き換えてアメリカにお引っ越し(私はその間イタリアにも住んでいたのでその混乱ぶりったら大変です)。で、アメリカでいくら『リフト』って言ってもまた通じない!何で??発音??たった数年でブリティッシュアクセントが身に付いちゃったのかしら、私。なんて言うことはもちろんなく、よくよく聞いてみるとみんな『エレベーター』って。やっぱり!!エレベーターはエレベーターなんじゃん!!と基本に返って一安心。

でも、全ての単語がこの流れにのってくれる訳ではないんです。中には、日本とイギリスでは同じ言い方なのに、アメリカでは違うとか。はたまた日本語が英語以外の言葉から取り入れたからイギリスでもアメリカでも通じない、とか。混乱甚だしいのですが、中でも一番混乱したのは『フットボール』と『サッカー』。

日本でも、サッカーのことをわざわざフットボールって言う人もいるでしょ?なので私はこの二つは完全に同じ物を指していると信じて疑っていなかったんです。で、アメリカに来てアメリカ人と話すと、妙に話が噛み合ない。いや、それは英語力のせいって、それももちろんありますが、アメリカ人が指差す先にいるのは日本で言う『アメフト』の選手達。•••。私ったら、アメフトがアメリカンフットボールの略だなんてちっともさっぱり知らなかったんです。アメフトって言うスポーツなんだとずーーーーっと思っていたんです。ちなみに、アメリカでは『フットボール』と言えば100%アメフトで、サッカーのことはサッカーとよんでいます。

この勘違いで、かなりの失敗をし、かなりの恥をかきました。だから、という訳ではないけれど、フットボール(はい、ここはアメリカ式で!)には全く興味がないまま11年間過ごしました。興味がなくても、フットボールはアメリカ人のメンタルと生活に深く、深ーく浸透しているので自然と自分の住んでいる地域のチームはどこか、勝ったのか負けたのか、クウォーターバックと言うのがチームの要らしい、ぐらいは頭に入ってきます。でも、その程度。

そんな私が今、アメリカ生活で初めてスーパーボールを楽しみにしてるんです。私みたいな人のために簡単に説明すると、NFLには二つのリーグ(カンファレンスって呼ばれています)があって、まぁ日本のプロ野球のセリーグとパリーグみたいな感じです。で、両カンファレンスからプレイオフなどをへて、—ここがプロ野球と違いますー最後に全米1位を決めるのがスーパーボールです。ちなみに、フット『ボール』だから、スーパー『ボール』って呼ぶんだとずっと思っていたのですが違うんです。英語で書くとball とbowl(お料理に使ったりする、あのボウル)。競技場の形がボウルのようだからスーパーボウルって言うんですって!この二つの言葉、ラジオなどでネイティブがさらっと発音したら、聞き分けられる普通の日本人(つまり私)はほとんどいないと思います。

アメリカ人にとってのスーパーボウルは、日本人にとっての、、なんでしょう??昨年(2016年)のオリンピックのときに、男子体操のメダルの行方を日本中固唾をのんで見守っていたあんな風な熱狂ぶりです。別にひいきのチームが出場しなくても、楽しいからそれに便乗して飲んで騒ごう!!という人も多いです。とにかくみんなが大好き、スーパーボウル。

そんなお祭り騒ぎをシラーっと横目で流していた私なのですが、今年の初め、子供達と彼の家で彼の地元チームの試合をみたんです。最初は『きっとみたいのに、私達がいるから遠慮して言わないんだろうな』と気を使って『フットボールみようよ!』と提案して見始めたのです。そこから続くであろう苦痛の4時間を覚悟して。ところが、彼にルール等を説明してもらい、ついでにサービス旺盛なテレビ解説の内容をふんふんと聞いているとこれが面白いんです!もちろん細かいルールはちっとも分からないし、はっきり言ってどっちが勝ってもいいやぐらいだったのですが、解説の人が『この選手は先週彼女と喧嘩して、、、』みたいな話をすると俄然親近感が沸くから不思議です。で、4時間後にはすっかりパッカーズのファンになりました。

パッカーズはあと一試合勝ったらスーパーボウルに出場が決まります。そして、それとは別リーグでは、我が地元チームも勝ち残っているんです。リーグが別なので両者が対決するのはスーパーボウルのみ!私の長女はフットボールにはちっとも興味はないけれど、地元大好き。という訳で、万が一この二つのチームがスーパーボウルに出場することになったら、彼のところにまた行って観戦しようと計画しています。次女と私は、正直なところどちらが勝ってもいいので、二手に分かれようと思います。

携帯にもフットボールアップデートを設定した私。こんな自分を誰が想像したでしょうか。人間って自分で『こうだ』って思っている他にもいろんな面があるんですね。そして、その新しい自分を発掘するのっていくつになっても楽しいな!

 

40にして、、、、

前回の記事に平日の昼間にカレーパンを手作りしている様子を書きました。シングルマザーと一口に言っても人それぞれ、中には離婚した元伴侶からの養育費で悠々自適の人もいるのねぇって、そうだったらいいのですがそうじゃないんです。

日本でもアメリカでも、シングルマザーって大変です。もちろん結婚生活にとどまっているマザーも大変なのですが、例えばそう言う普通のマザーがボクシングのリングの脇でセコンドとして『大変』だとすると、シングルの方はリングに立ってじゃんじゃんパンチを繰り出さなくちゃいけない、そう言う大変さ、だと思います。そう、私達は戦っていかなくちゃ行けないんです。日本の社会を離れて14年、きっとその間に様々なことが変わったのでしょうけれど私の記憶にある日本を元に推測すると、日本のシングルマザーの方々は社会的偏見とまずは闘わなくちゃ行けないんじゃないでしょうか。例えば、アパートを借りる苦労だったり、仕事を得る際のハンディだったり(って、全然的外れで古かったらごめんなさい)。

アメリカの場合は、その点すごく楽です。シングルマザーになるハードルが低いです。いい悪いは別にして、シングルマザーの数が多いので社会的な偏見を感じることはほとんどありません。とは言っても我が家のような外国人シングルマザーは日本にしてもアメリカにしても珍しいかも。私が第一に戦わなくちゃいけないことは、アメリカに『合法』に滞在すること。

アメリカで子供達と3人でやっていこうと決めた時、一番頭を納悩ませたのはビザの問題でした。それまでは旦那さんの家族ビザで何も心配なく暮らしていた私。私の『残りたい』という希望にもちろん怒り心頭の旦那さんは、一人でやれるもんならやってみろ、ということだったので、やってやりました!一人で。弁護士を始め近所の大学の留学生課、その他頼れるところには全部相談に行って、学生ビザへの切り替えに成功し、なんとか残ることができました。

今から思うと、当時の私はとりあえずその時の『今』アメリカにいることだけを考えていて、先のことはどうにかなるだろうと楽観していました。それから今に至るまで起こる様々なことを当時既に知っていたら、それでも挑戦したかなぁ。あんまり根性の座っていなかった数歳若かった自分だから、ビビってあきらめて旦那さんにくっついて帰国したんじゃないかな。

当時の私は『格別に幸せじゃないけど、不幸でもない』。今の私は『いろいろ苦労はあるけれど、心から幸せ』。だからきっとこれでよかったんだ。でも、この話は今回のテーマとは関係がないので、また別の機会に改めて書きます。

で、アメリカ滞在のために戦い続けた私の現在の身分は学生です。一応学部生ではなくて大学院生というのがせめてもの救いだけれど、40歳で学生って、ちょっとどうなの。そしてアメリカに11年住んでいても学生ビザをもらっている関係上、留学生になってしまい、その規制のために学外では働けず。と言う訳で、不本意ながら平日の昼間にカレーパン作りに精を出す生活をしている、ということなんです。やっとつながった。

昔の人が言ったような落ち着いた40歳とはかけ離れているけれど、こんな人生もあり、かなぁ。

 

初ブログ!

こんにちは。初めまして。

私のブログを、貴重な時間を使って読んでくださっている方がいるとしたら、本当にありがとう。

ブログを書くなんて近頃ちっとも珍しいことではないけれど、私にとっては初めてで何だか緊張しています。小学生と中学生の娘二人と暮らす平凡な40代の日々ではありますが、自分が50代や60代になって『あぁ、あの頃はあんなことがあって、こんな風に考えて生きてたんだなぁ』と振り返ることができたり、又はリアルタイムで読んでくださった方をクスッと笑わせることができたりしたらいいなぁと思います。

まずは記録として今のことを。

『今』はカレーパン作りの真っ最中です。カレーパン。恐らく日本に暮らしていたら、よっぽど暇で退屈してるとか、すごいグルメで自分の口に合うカレーパンが見つからないというような状況でもない限りわざわざ作ろうとは思わないでしょ?だって、食べたかったらチャリっと自転車に乗って角のパン屋まで買いに行けばいいんだし。でもね、ないんです。ここにはカレーパンはおろか、角のパン屋もママチャリでふらりと買い物に行けるお店も、なーんにもないんです。

アメリカに来て、話と違うじゃん、ということも、聞いてた通りだな、ということもどっちもあるけれど、『車社会アメリカ』は大真実!学生の頃、身分証明書のために車の免許を取ったとき『あんた、免許はあげるけど絶対運転しないでね』と言われた私。アメリカに来るのが決まった時も『私には丈夫な足が二本あるもんね』と思っていたけれど甘かった。かろうじてスーパーまで歩いていけることは行けるけど、売っているものの一つ一つがアメリカサイズで、とても持って歩いて帰るなんてできないな、こりゃ、と言うことで車を運転し始めてはや11年。

今は運転大好きでどこでも行けちゃうけど、でも一番近いカレーパンまで5時間運転する訳にも行かず(子供も学校から帰ってきちゃうし)、ちょうど残り物のカレーもあるし、と言うことで今日は手作りカレーパンに挑戦。揚げてる途中にパンが開いて少し中身がはみ出ちゃったけど、できたできた!

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しかし、新年早々の13日の金曜日にカレーパンを作っていますって言う記録、なんか意味あるのかなぁ。。。。