すずめ日記

アメリカ田舎生活。いろいろあるよね。

日曜日なのに

今日は日曜日だ。

10月最初の日曜日、にも関わらず気温は華氏80度を超えた。例年だったら、もう肌寒く、そろそろ暖房のチェックをしておかないとなーというような時期なのに。そして、週間天気予報を見ると、どうやら今年最後の暖かい日、らしい。週の後半からどんどん気温は下がり、金曜日の最高気温は華氏55度(摂氏15度くらい?)。青空が広がり、いかにも秋の行楽日和な今日、私が一日中していたことは、マルクス主義の勉強。そしてそれを元にしての、オンラインディスカッションの準備。悲しすぎる。

朝晩の犬の散歩と、お昼に次女とマクドナルドまで歩いたことだけが今日のハイライト。

それにしても、マルクス主義、難しい。マルクス主義=共産主義=何やら良くない、というごく単純な思考の持ち主の私。学期が始まる前に、受講する授業全ての教授から「マルクスについて、基本知識は勉強しておくように」と言われたときは、とても驚いた。なんで??私の専攻は、幼児教育なのに?!(ちなみに、マルクスだけでなく、フロイトについても基本事項は把握しておくように言われた。)

学期が始まって、8週目。いまだに実は、どうして自分がマルクスやフロイトについて勉強しなくちゃいけないのか、それが私の目指す研究とどういう風にリンクしていくのか、よくわからない。(この辺り、1年後に今日のエントリーを読む直すのが結構楽しみ)

でも、マルクス主義、構造主義、記号主義、フロイト、そしてラカン、とほんの一ヶ月前まで存在すら知らなかったセオリーを無理無理に読みまくり、なんとなく「学者の世界」がすこーしだけわかった気がする。みんな、基本的には世の中を良くしたい。不平等な扱いを受けている人たち、例えば現在のアメリカでいえば黒人や移民たち、たまには女性達、をなんとか助けたい。圧倒的に白人男性が支配するこの社会を変えようとすれば、まずどうやってこういうことになったのかその仕組みを知らなくちゃいけない。そして、どうやって変えていったらいいのかそのプランがいる。時代にかかわらず、多くの人たちがこの命題のため生涯を捧げて研究したのでは、、、ないだろうか。

そして、一応、その流れを汲んで前進していく力の一端に連なったわたし。それならばまずは先人達の努力の結果を理解し、それに何かを付け加えていくのが、私の命題、というものではなかろうか。

と、そんなことをつらつらと考えつつ、上天気の日曜日に出かけられないこと自分を慰めているのだった。

今日の出来事

毎週金曜日には学部の授業がある。

小学校4年生までの教員志望の学生を相手に、なぜか専門でもないのに「美術科」を教えている。修士を取った大学では日本語を教えていたけれど、日本語を教えるのは半ばプロだし、何しろ学生の数が少なかった、つまり楽だった。

今在籍する大学は、規模も大きいしいろんな人種が混じっているのだが、教員志望というのは今も昔も、白人の女性が99%と決まっている。というわけで、私の担当するクラスも全員女性、そして一人以外全員白人。白人のお姉ちゃん達、しかも二十歳前後のはっきり言って子供、でも本人たちは大人のつもり、を20人近く相手にして、3時間英語で「教える」状況を想像してみてほしい。というか1年半前だったら、想像しただけで「はい、私には無理」と却下していたと思う。

まぁ、とにかくその授業を教えることで、自分の学費のカバーと月々のお給料をいただいているので、もちろんありがたく教えさせていただいているのである。そして、授業は思ったほど苦痛でもなく、自分の幼稚園教員時代の経験を生かして3時間を楽しく過ごせている。しかも、終われば楽しい週末の始まり、始まり。

だったのだが、先週こんなことがあった。私はまだペーペーということで、一人で教える授業もベテラン先生が一緒にくっついている。彼女は、美術教育の専門家で大変優しく、穏やかで、一緒に働くには理想的な人である。そして、教育にも大変熱心だ。そんな彼女にとって、授業中に学生が携帯をのぞいていたり、パソコンを眺めて、明らかに遊んでいることは許せないらしい。ちなみに、私は正直なところ「どうでもいい」のだ。私も学生として3時間の授業を取っている。中には、ネットショッピングをしている学生もいっぱいいる。3時間という長さがどれだけ苦痛かも、よくわかる。それに何より、この障害並みに下手な英語で教え「させていただい」ているのだ。座っている学生たちに申し訳ない、ソリャァ、こんなの聞いてるより彼氏とテキストしている方が楽しいだろう、というのが正直な気持ちである。当然、「こいつ聞いてないな」というのは気がつくが、だからってあえて注意はしない。

ところが、ベテラン先生はきちんと注意する。しかも、一応、「私」の授業中に。で、先週、その先生はついにきれて全生徒の前で一人の学生を叱りつけた。そうしたら、なんと、その学生は反論するのである。ひぇーーーーだ。日本人的感覚からすると、信じられない、の一言であるが、ここは権利の国アメリカ。学生だって、「不当」に叱られたら反論するのだ。これは、私の関係ないところでどんどん大問題となっていき、同じ学生たちを教えている、これまたベテランの教授も「実はあのクラスは、大変態度が悪い」と言い出し、学生を名指しで批判し出したのである。ちょっと面白かったのは、ここで名前が上がった学生と、私のクラスで叱られた学生が全然かぶっていなかったこと。だから、この先生同士の間でも「あの人は、わかってない」的な空気が流れ始め、(何しろ、やりとりは全部Eメールだから)、本来ちっとも関係のない私まで、なんだかとてもやりづらいのだ。全然外部の教授からも「あのクラス、教えてるんだって??大変だって聞いたよ」なんて言われる始末。いや、皆さんが引っ搔き回さなければ、私のクラスはとても楽しく、学生たちとも笑いの絶えないいい時間なんですけど、、、ととても言いたいけれど、ベテランを差し置いて、ペーペーの私だけが上手にやってますアピールみたいで、それも言えない。そして、さらに悲しいのは、私は誰がどの学生と喧嘩しようと、今まで通り一人一人にナイスに接しているのだが、それが変なふうに影響してややもすると、私がベテラン先生の怒りを利用して学生に取り入っているように見えてしまうこと。

今週で7週目がおわり、来週は恐怖の中間評価だ。こわいこわい。

今日の出来事

2018年10月4日木曜日 晴れのち雷 10月なのに暖かい日

今日、アドバイザーとミーティングがあった。

博士課程を初めて、授業以外で初めて個人的にアドバいざーと話す機会。

その際、「将来のために日記を書いておくといいよ」と言われたのでブログ復活。

今日は木曜日、ということで昼に1時間学部の授業(教える方)、そして夕方にライティングのクラス。のはずだったのだが、アドバイザーとのミーティングが、ほんの10分程度ですませるはずが、なんと2時間。というわけで、授業をすっぽかしてしまった。でも、このクラスは、コーティーチングだから大丈夫。

アドバイザーのヴァレンタイン先生に色々聞いてもらった。実は、怖い先生なのでは、とずっと思っていたのだが、思い切って博士課程が始まってからのいろいろを話してみた。最初の数週間は、とても充実して張り切っていたこと。その次の3週間はまるで池で溺れるように、どんどん落ち込んでいったこと。そして7週目の今週は、色々あがいた結果、遠い水面に蛍の光のような小さな希望が見えてきた事。

先生は親身に聞いてくれた。まともな院生はみんな何かしらの理由で、溺れるような気分を味わっている事。アカデミックな世界は、就職してもだいたい同じ様なパターンで過ぎていく事。先生自身もあがいていること。そして何より、自分がきちんと受験書類を見て選んだのだから、「必ずできる」といってくれた。すごく勇気が出た。

が、そのあとの具体的にじゃぁ、今抱えている問題はどうしたらいいか、という話になると「えっと、それじゃぁ、リストにある論文をかたっぱしから読んでおいて」「それから、このデータもチェックして」「あ、このほん(厚さ10センチぐらいの巨大な本)にも目を通しておいて」って、聞けば聞くほど気が滅入ったけど。

小さい頃から「この子はやればできる」と言われ続けてきた。「やれば」できるはずなのだが、正直なところ常に手を抜いてきた。今回は本当に「やる」、人生最後のチャンスのような気がする。諦めていた自分の人生、こんな機会が巡ってきたことに、驚くとともに、感謝感激。

正直なところ、しんどい。体力的にも40半ばで博士課程で勉強するのはギリギリ。毎日、毎日、広い大学校内ではるかかなたの駐車場まで、重たいバックパックを背負って歩く夕方。本当に、肩が痛い。構内のバスに乗ろうにも、バスはすでに若い学部生で満杯(若いんだから、歩けよなー!!)。恐らく日本語でも何が言いたいのかよく分からないような本を英語で何冊も何冊も読むのは、まるで拷問のようだし、それを元に頑張って議論してみたところで、議論の浅さにガックリくる。自分のリサーチデータを見るときに使うセオリーを見つけるように言われても、セオリーをよく知らないからどこから手をつけていいのか、よく分からない。勉強しようにも、星の数ほどあるセオリーのどこから手をつけたらいいのやら。

それでも、粘ろうと思う。ヴァレンタイン先生が「最終的に博士号を取れる学生は、自分に言い訳をしなかった人。諦めないで、とにかく努力を続けた人。」と言っていた。私の人生、思ってもみなかった方向に進んでいるけれど、悪くない。きっと。

 

自分が悪いのについつい子供を叱ってしまう時。

今回は何とも、あちゃーなお話です。

子供、恐らく10歳より下の子供って正直というか、本音と建前が分からないというか。それは幼稚園の教諭をしていたのですからよーく知っています。いつもお化粧ばっちり、ぴっかぴか笑顔で子供を送ってくるお母さんは、『お化粧がうまく行かないとすごーくコワいの。ギャーって言って口紅を鏡に投げるんだよ』(娘4歳談)。まぁだいたいは『今日はパパとママが一緒にシャワーを浴びてて全然でてこないから遅刻したんだ』とか微笑ましい事が多いので聞いている分にはいいのです。

で、そう言う事をよく知りつつついつい自分の子供に関してはガードがゆるくなってしまう私。そろそろ娘の誕生日、と言う事で誕生日会に誰を呼ぼうかという話をしていたのです。娘が呼びたいと言った友達の中に一人の女の子がいて、その子自身はかわいらしく穏やかでイイコなのですが、その子のお兄ちゃんが数年前受け持ったクラスの超問題児だったのです。自分に気に入らないと棚の上のものを落として回る、クラスメートを殴りつける、飾ってあるクラスメートの絵や工作を片っ端から壊して回る、椅子やテーブルを倒す、とうとうとうとう。何度教室から連れ出した事か、そして言って聞かせる間に蹴られた事か。クラスを卒業した時には心からほっとしたのですが、そう言う子に限って妙に人懐っこく、まるでそんな死闘を繰り返した事なんて忘れてしまったように(実際忘れているのかもしれません。。。。)元の先生達を慕ってくれるんです。ちなみに大人は絶対忘れません!

妹を娘の誕生日に招待したら100%、間違いなく、お兄ちゃんもついてくる事確実なのでそこを渋っていたら娘にズバリ『なんで??ママ、あのお兄ちゃん嫌いなの?』と聞かれたので他に適当な事も言えずついつい『うん、そうなんだよ。あの子は乱暴するからママはあんまり好きじゃないの』と言ってしまったんです。

そんな会話はすっかり忘れていた今朝、娘が『ママ、リリー(妹)がね、お誕生日会に呼んでくれる?って言うから、リリーはいいんだけどうちのママはリリーのお兄ちゃんが嫌いだから駄目って言っておいたよ』って言うんです。ドッヒャーーーーです。もう。この町は、本当にびっくりするほど小さくて人と人との関係が密接なんです。子供の会話とは言え、そんな事をリリーが親に言ったら(そして、恐らく言っている)と思うと背筋が寒くなります。冷静に考えるといくら自分の娘とはいえ教え子の悪口を他人に言った自分が悪いのですが、ついつい娘を『言っていい事と悪い事があるでしょ?家の中でママが言った事を他人にべらべらしゃべるなんてっっっ!』と叱りつけてしまいました。で、今ダブる猛省中です。

書いとかないと忘れてきっとまた繰り返すので、書いておきました。

 

アメリカ大学院の学期末

アメリカの大学は、だいたい2学期制です。秋学期と呼ばれる8月から12月までと、春学期と呼ばれる1月(または2月)から5月まで。中には夏の間に開かれるコースもありますが、学生の大半は春学期が終わるとすぐ地元に帰ってしまいます。

と言う事で、今(4月の終わり)は春学期の大詰めです。学部の学生達はファイナルに向けて猛勉強中。では大学院生は?というと、これまた仮死状態の学生がほとんどです。私の場合、ファイナルの一発試験はないものの、ファイナルプロジェクトなるものがどの授業でもだされています。内容はたいてい、この4、5ヶ月で学んだ事を総体してどの位レベルがあがったか見せてごらん、と言うものが多くこれはこれでやっかいです。何しろ、学期の始め頃、記憶のはるか片隅に残るか残らないかの文献も漁ってさもずっと覚えていたかのようにプロジェクト中にちりばめないと行けません。

プロジェクトはただ作って提出するだけではありません。どのクラスも最後の時間が発表に宛てられていて、10分ないし20分で自分のプロジェクトの内容を発表します。今学期、私が一番苦労しているのはある一つの授業のファイナルのうちの一つで、学校のトップに立つ人にインタビューをして、そのインタビューを元に現大統領と教育大臣に一言もの申す手紙を書く、というもの。私は政治にちっとも全く興味がありません。あまりにずれまくっていて大きな話題になったので、教育大臣が誰か知っている事は知っているものの、彼女に一言言おうにも彼女の掲げる政策も知らないしその前にアメリカの公立教育の仕組みすらよく分かっていません。こんなに不利な留学生の立場を慮って、教授達が『留学生の場合は特別に自国の指導者宛に手紙を書いてもよし』としてくれました。が、しかし、日本を離れてはや15年、今の首相が安倍総理という事しか知らない私にはちっともありがたくない取り計らいです。

でもとにかく何かしら作らなくては行けないので、とりあえず昔働いていたモンテッソーリ幼稚園の校長先生にインタビューの約束を取り付け、あとはインタビューが終わってから考えようとずっと放ってありました。ところが!!!!!インタビューまであと数日という時になって、質問状を送ったところ『こんな政治的な内容だとは知らなかった。できない』という返事が。えええええっ、インタビューお願いした時にちゃんと説明したじゃん!!!と思ったものの、こちらはあくまでお願いする側なので強くも言えず。とにかく、インタビューまであと数日、そして課題提出まであと一週間という事の時になので、なんとか答えてもらえるような質問に変えるしかありません。もう、これだけじゃないのに。他にもプロジェクトが山のようになのに、もうっっっっと頭を抱えつつも、何だかやる気も事切れて、ブログに逃げる私なのでした。

引き寄せより一歩さきへ。

ここ数年、人生の大事件が続きました。大事件と言ってもそれはあくまで私にとって。夫の稼ぎと夫の配偶者ビザで何の心配もなく暮らす主婦からシングルマザーになり、子育てとフルタイムの仕事だけでも十分ご苦労様なのに、外国で暮らしていくためにビザの心配までしなくちゃ行けません。おまけに恋に落ちた相手は結婚しているという、どこにも逃げ場のない日々。特にビザとお金の問題にはだいぶ苦しみました。夜眠りに落ちる時に『このまま目が覚めなかったらどれだけ楽だろう』と思いながら、それでもかなりの高確率でやってくるであろう明日を思って目に涙をためて眠ったことも何度かありました。

そんな日々を、精神的に決して強い方ではなかった私がどうやってくぐり抜けたんだろう、と近頃ふと思います。思い出すのはよく自己啓発系の本を読んでいたことです。日本語英語を問わず、自分のところにやってくる本は全部読みました。当時の精神状態にあっていたのか『引き寄せの法則』について書かれている本が多く、今から思えば自分の努力の及ばないどうしていいのか分からない問題を前にして、ただ自分の欲しい状態を思い浮かべるだけでいいという点に惹かれたんでしょう、かなり熱心に理想の状況を思い浮かべました。まるでそれにすがるように。そうして一つ一つの問題を乗り越えたり、迂回したり、飛び越えたり、逃げ出したりしてたどり着いた今日、ふと引き寄せを振り返ることがあります。

思えばむかーしむかし中学生の頃、外国人と付き合ってみたかった。高校のクラスメートの帰国子女が羨ましくて羨ましくて、英語が話せるようになりたかった。結婚したかった。娘が欲しかった。犬を飼いたかった。ここ5年に限って言えば、今住んでいる町にずっと住んでいたかった。心穏やかに愛し合える人と出会いたかった。大学院に行きたかった。

そこに至る道筋は自分の予想とはぜんぜん違ったけれど、辛かった時期に思ったことも含めて意外と叶ってるなーと思います。でもね、当時はもっと違うことも願ったんです。そして不思議なことは、その叶わなかったことの多くは『叶わなくてあぁよかった』と今は思う、ということ。例えば、不倫関係だった彼が離婚して私一人のものになって欲しいとどれだけ熱心に願ったことか。でも今はその気持ちがちっともわかりません。え?あの人のどこがそんなに魅力的だったのかしらと頭をかしげてしまいます(恋愛なんて、たいていそんなものです。正に恋は盲目)。その彼とうまく行かなかったからこそ、今お付き合いしている人に出会えたんです。

願っている瞬間の私はいつも真面目です。この願いこそ私に更なる幸せをもたらしてくれるはず、と。でもその願いが間違っていることがあるらしいと気がつきました。じゃぁ、どうやって『正しい願い』を見分ければいいの?そんな風に考えて頭が混乱していた時に、ベビーシッターをしていた家のコーヒーテーブルにふと置いてあった一冊の本。「ホ オポノポノ』という見慣れない言葉に惹かれてよんでみると、なんとびっくり!ただ思うだけの引き寄せより更に簡単な方法で幸せになれるとあるではないですか。特に私のつぼにはまったのは、『あなたにとってどのような状況が理想なのか、そこに至るにはどう言う道を通らなくちゃ行けないのか、あなたの意識はちっとも知らないけれど、あなたの無意識とそこに通じる大いなる存在はきちんと知っています。なのであなたの限られた意識を駆使して思うことにはあまり意味がないのです(だって限界があるから)』と。なるほどー!!!!目から鱗とはこのことです。

それからは、その本にあったように『ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています』と唱えるだけ。瞑想するときもマントラ代わりに使っています。

最近は年齢とともにますます図々しくなって来て、私はきっと大丈夫と安心しきった毎日です。お金もないし、将来どうなるのかも分からないし、ビザだって未だ学生ビザだけど、でも大丈夫。私だから。ずいぶん逞しくなったもんだなぁと自分でも思います。

この先きっとまた大変なこと、辛いことは起こるだろうけどこのまま進んで行けば必ず乗り越えられる自分になっているだろうから大丈夫。そんな風に思うことができるようになるためのここ数年の苦労だったのかも、知れません。

挑戦すること。

今回は『アツイ』お話です。

昨日、通っている大学で人生初の学会発表に参加しました。学会ってよく聞くけど実際はどんなことが行われてるの?ってずっと疑問でした。今までいくつか参加してきましたが、簡単に言うとそれは業績発表&勉強の場です。自分が研究してきた内容を同じ分野に興味がある人々に伝えて、それでみんな何かを学んでまた自分の研究に戻って行く、という。いっぺんにたくさんの新しい情報に触れることができて、とてもエキサイティングな、例えればお祭りのようななかなか楽しいイベントなんです。その時しか会えない、普段は遠くに暮らす友人にも会えたりしてちょっとした同窓会でもあります。

学会の参加方法には3つあります。一つ目は主催者側になること。二つ目は学会で自分の研究を発表する人になること、そして三つ目はその場に行って学ぶ側になること。当然ながら三つ目の参加者になるのが一番簡単で誰でもできるのですが、アカデミックな世界の端くれにいる者として自分も発表する側になりたい!と言うのは世の大学院生の多くが思っていること、だと思います。

さて、今回私が選んだ発表方法はポスター発表と言って、本格的な講義スタイルの発表ではなく、もっと気軽で取っ付きやすい方法です。研究内容をまとめたポスターを作り、それを元に、見に来てくれて興味を持って立ち止まってくれた人に詳しく内容を話すという方法です。何十人もの人を前に話すなんてまだまだできないし、第一そんな場で発表できるような研究成果もない私。しかも学会発表は初めて、なので友人がポスター発表を勧めてくれました。

学会で発表するには、主催者側の審査に通らないと行けません。プロポーザルと言って、自分の発表内容を簡潔にまとめた文章を主催団体に送ります。主催者側はこれは発表に値する内容か、主催する学会の趣旨に沿っているか等を審査して結果を教えてくれます。無事に審査に通ったら、次はポスター制作です。

実際ポスターを作るまで自分の中のポスターのイメージは、数枚の紙に内容を印刷してそれを三つ折りのポスターボードにぺたぺたのり付けするというものでした。小学生の娘が学校の文化発表会などでやっているのと同じような。でも、ちょっと調べてみると、最近の主流はパワーポイントを使って一枚にまとめ、それをひたすら拡大して大きな1枚のポスターにするというもの。ちらっと見ただけで、『あ、私には無理。関係ないや。自分の思う通りにしよう』とすぐ思いました。ところが、その話を聞いた彼(元大学勤め)が『え、それってものすごく素人臭いやり方だよ。学部生ならともかく、院生ならやっぱり一枚に印刷しないと』と珍しく強く言うんです。ゲゲ、そうなの?!と何だか自分には手に負えないとんでもないものに首を突っ込んでしまった感いっぱいの私。しかも!この時点で発表まで10日を切っているという。

やろう、やろう、やらなくちゃ、と言う気持ちはずっとあったんです。もう2ヶ月ぐらい前から、せめて『内容』だけでも作らないとと言う焦る気持ちはずっと、ずっと。なのに日々の暮らしと目前に迫る課題提出に終われて気がつけばあと10日。我ながら泣きたくなりました。

しかも指導はちっともしてくれないくせに批判は激しい指導教官にこの話をしたところ『私の名前入りで素人臭い発表はしないでね、テンプレートあげるから絶対プロフェッショナルのにして!!』って。あくまで自己中な指導教官にげんなりしつつも、やっぱり頑張らなくちゃ行けないのかもとようやくロケットエンジンに火をつけるためのマッチを握りしめました。本当に火をつけてそしてロケット発射までこぎ着けられるのか、かなり疑問で不安で震えながら。

他の人は、長らく続けて来た実験や最近発表した論文などを元に作るポスター。ところが私の場合は参考にしようかなと思う本を読んだだけ、という自分でも薄ら寒くなるような、これでよく発表しようと思うよなとびっくりしてしまうようなスタートでした。でも『こういうことをしたい!』と言う熱い想いはとりあえずあったので、それと本の内容とを元に写真を集め、グラフを作り、地図を見つけ、きれいなフォントで内容を書き、できました!!!!ポスターが。印刷のために大学にデータを送ったときは体中から力が抜けました。

さて学会当日。ポスターをセットして、ふと周りを見渡すと力作のポスター達がいっぱい。始まるまでの時間を使って100枚近くあるそれを見て回りました。今回は大学の学内企画なので分野に関係なく、院生なら誰でも申し込むことができます。と言う訳で内容も盛りだくさん。『死のケア』『ドローン撮影』『スポーツ選手の怪我』『サウジアラビアの結婚事情』等々ありとあらゆる分野の発表があり、見ているだけで楽しくなると同時に、自分もこの場に発表者として立っているんだということがしみじみと嬉しく、誇らしくなりました(実際に渾身の研究結果を発表したらもっと嬉しいんだろうな、とも思いました)。

人文系の私の発表なんて、興味を持って見てくれる人がいるのかなぁと不安でしたが、思いがけず私の分野以外の人が『これは自分の分野ともかぶるから』と熱心に見てくれたり、自分の学部の知らない先生が見てくれたりと思ったよりもずっと盛況でした。

自分の想いを込めたものを他人に見せて、それについて意見を交換したり、批判をもらったり褒めてもらったりする、というのは想像していた以上にエキサイティングなことでした。最初に学会のことを聞いた時(『自分とは縁がない』と思いました)、プロポーザルに何を書いたらいいのかよく分からなかった時、ポスター作りの現実を目の当たりにした時。ずっと自分にはできない、無理だ、と心のどこかで思っていました。それを考えるとこの現実に感無量です。

振り返ってみれば、1年前の今頃は大学院に応募しながらも全く現実味がなく、まさか自分がちゃんと院生としてやって行けるだなんて思ってもいませんでした。それが1年後こんな場に立てているだなんて。人間、いくつになっても挑戦し続けることはできるんです。自分には無理、と思うのは挑戦してとことんやってみてからでいいんです。

大学院生活もまだ一年目、これから長い長い道のりが続きますが、今回のような経験を一つずつ積んで行って少しづつ自信の梯子の段を増やし、必ず最終目標に到達しよう!と決意を新たにした昨日でした。

でも、とりあえず今日はおつかれさま、と言うことでのんびりしようかな。