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すずめ日記

アメリカ田舎生活。いろいろあるよね。

引き寄せより一歩さきへ。

アメリカ生活

ここ数年、人生の大事件が続きました。大事件と言ってもそれはあくまで私にとって。夫の稼ぎと夫の配偶者ビザで何の心配もなく暮らす主婦からシングルマザーになり、子育てとフルタイムの仕事だけでも十分ご苦労様なのに、外国で暮らしていくためにビザの心配までしなくちゃ行けません。おまけに恋に落ちた相手は結婚しているという、どこにも逃げ場のない日々。特にビザとお金の問題にはだいぶ苦しみました。夜眠りに落ちる時に『このまま目が覚めなかったらどれだけ楽だろう』と思いながら、それでもかなりの高確率でやってくるであろう明日を思って目に涙をためて眠ったことも何度かありました。

そんな日々を、精神的に決して強い方ではなかった私がどうやってくぐり抜けたんだろう、と近頃ふと思います。思い出すのはよく自己啓発系の本を読んでいたことです。日本語英語を問わず、自分のところにやってくる本は全部読みました。当時の精神状態にあっていたのか『引き寄せの法則』について書かれている本が多く、今から思えば自分の努力の及ばないどうしていいのか分からない問題を前にして、ただ自分の欲しい状態を思い浮かべるだけでいいという点に惹かれたんでしょう、かなり熱心に理想の状況を思い浮かべました。まるでそれにすがるように。そうして一つ一つの問題を乗り越えたり、迂回したり、飛び越えたり、逃げ出したりしてたどり着いた今日、ふと引き寄せを振り返ることがあります。

思えばむかーしむかし中学生の頃、外国人と付き合ってみたかった。高校のクラスメートの帰国子女が羨ましくて羨ましくて、英語が話せるようになりたかった。結婚したかった。娘が欲しかった。犬を飼いたかった。ここ5年に限って言えば、今住んでいる町にずっと住んでいたかった。心穏やかに愛し合える人と出会いたかった。大学院に行きたかった。

そこに至る道筋は自分の予想とはぜんぜん違ったけれど、辛かった時期に思ったことも含めて意外と叶ってるなーと思います。でもね、当時はもっと違うことも願ったんです。そして不思議なことは、その叶わなかったことの多くは『叶わなくてあぁよかった』と今は思う、ということ。例えば、不倫関係だった彼が離婚して私一人のものになって欲しいとどれだけ熱心に願ったことか。でも今はその気持ちがちっともわかりません。え?あの人のどこがそんなに魅力的だったのかしらと頭をかしげてしまいます(恋愛なんて、たいていそんなものです。正に恋は盲目)。その彼とうまく行かなかったからこそ、今お付き合いしている人に出会えたんです。

願っている瞬間の私はいつも真面目です。この願いこそ私に更なる幸せをもたらしてくれるはず、と。でもその願いが間違っていることがあるらしいと気がつきました。じゃぁ、どうやって『正しい願い』を見分ければいいの?そんな風に考えて頭が混乱していた時に、ベビーシッターをしていた家のコーヒーテーブルにふと置いてあった一冊の本。「ホ オポノポノ』という見慣れない言葉に惹かれてよんでみると、なんとびっくり!ただ思うだけの引き寄せより更に簡単な方法で幸せになれるとあるではないですか。特に私のつぼにはまったのは、『あなたにとってどのような状況が理想なのか、そこに至るにはどう言う道を通らなくちゃ行けないのか、あなたの意識はちっとも知らないけれど、あなたの無意識とそこに通じる大いなる存在はきちんと知っています。なのであなたの限られた意識を駆使して思うことにはあまり意味がないのです(だって限界があるから)』と。なるほどー!!!!目から鱗とはこのことです。

それからは、その本にあったように『ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています』と唱えるだけ。瞑想するときもマントラ代わりに使っています。

最近は年齢とともにますます図々しくなって来て、私はきっと大丈夫と安心しきった毎日です。お金もないし、将来どうなるのかも分からないし、ビザだって未だ学生ビザだけど、でも大丈夫。私だから。ずいぶん逞しくなったもんだなぁと自分でも思います。

この先きっとまた大変なこと、辛いことは起こるだろうけどこのまま進んで行けば必ず乗り越えられる自分になっているだろうから大丈夫。そんな風に思うことができるようになるためのここ数年の苦労だったのかも、知れません。

挑戦すること。

大学生活

今回は『アツイ』お話です。

昨日、通っている大学で人生初の学会発表に参加しました。学会ってよく聞くけど実際はどんなことが行われてるの?ってずっと疑問でした。今までいくつか参加してきましたが、簡単に言うとそれは業績発表&勉強の場です。自分が研究してきた内容を同じ分野に興味がある人々に伝えて、それでみんな何かを学んでまた自分の研究に戻って行く、という。いっぺんにたくさんの新しい情報に触れることができて、とてもエキサイティングな、例えればお祭りのようななかなか楽しいイベントなんです。その時しか会えない、普段は遠くに暮らす友人にも会えたりしてちょっとした同窓会でもあります。

学会の参加方法には3つあります。一つ目は主催者側になること。二つ目は学会で自分の研究を発表する人になること、そして三つ目はその場に行って学ぶ側になること。当然ながら三つ目の参加者になるのが一番簡単で誰でもできるのですが、アカデミックな世界の端くれにいる者として自分も発表する側になりたい!と言うのは世の大学院生の多くが思っていること、だと思います。

さて、今回私が選んだ発表方法はポスター発表と言って、本格的な講義スタイルの発表ではなく、もっと気軽で取っ付きやすい方法です。研究内容をまとめたポスターを作り、それを元に、見に来てくれて興味を持って立ち止まってくれた人に詳しく内容を話すという方法です。何十人もの人を前に話すなんてまだまだできないし、第一そんな場で発表できるような研究成果もない私。しかも学会発表は初めて、なので友人がポスター発表を勧めてくれました。

学会で発表するには、主催者側の審査に通らないと行けません。プロポーザルと言って、自分の発表内容を簡潔にまとめた文章を主催団体に送ります。主催者側はこれは発表に値する内容か、主催する学会の趣旨に沿っているか等を審査して結果を教えてくれます。無事に審査に通ったら、次はポスター制作です。

実際ポスターを作るまで自分の中のポスターのイメージは、数枚の紙に内容を印刷してそれを三つ折りのポスターボードにぺたぺたのり付けするというものでした。小学生の娘が学校の文化発表会などでやっているのと同じような。でも、ちょっと調べてみると、最近の主流はパワーポイントを使って一枚にまとめ、それをひたすら拡大して大きな1枚のポスターにするというもの。ちらっと見ただけで、『あ、私には無理。関係ないや。自分の思う通りにしよう』とすぐ思いました。ところが、その話を聞いた彼(元大学勤め)が『え、それってものすごく素人臭いやり方だよ。学部生ならともかく、院生ならやっぱり一枚に印刷しないと』と珍しく強く言うんです。ゲゲ、そうなの?!と何だか自分には手に負えないとんでもないものに首を突っ込んでしまった感いっぱいの私。しかも!この時点で発表まで10日を切っているという。

やろう、やろう、やらなくちゃ、と言う気持ちはずっとあったんです。もう2ヶ月ぐらい前から、せめて『内容』だけでも作らないとと言う焦る気持ちはずっと、ずっと。なのに日々の暮らしと目前に迫る課題提出に終われて気がつけばあと10日。我ながら泣きたくなりました。

しかも指導はちっともしてくれないくせに批判は激しい指導教官にこの話をしたところ『私の名前入りで素人臭い発表はしないでね、テンプレートあげるから絶対プロフェッショナルのにして!!』って。あくまで自己中な指導教官にげんなりしつつも、やっぱり頑張らなくちゃ行けないのかもとようやくロケットエンジンに火をつけるためのマッチを握りしめました。本当に火をつけてそしてロケット発射までこぎ着けられるのか、かなり疑問で不安で震えながら。

他の人は、長らく続けて来た実験や最近発表した論文などを元に作るポスター。ところが私の場合は参考にしようかなと思う本を読んだだけ、という自分でも薄ら寒くなるような、これでよく発表しようと思うよなとびっくりしてしまうようなスタートでした。でも『こういうことをしたい!』と言う熱い想いはとりあえずあったので、それと本の内容とを元に写真を集め、グラフを作り、地図を見つけ、きれいなフォントで内容を書き、できました!!!!ポスターが。印刷のために大学にデータを送ったときは体中から力が抜けました。

さて学会当日。ポスターをセットして、ふと周りを見渡すと力作のポスター達がいっぱい。始まるまでの時間を使って100枚近くあるそれを見て回りました。今回は大学の学内企画なので分野に関係なく、院生なら誰でも申し込むことができます。と言う訳で内容も盛りだくさん。『死のケア』『ドローン撮影』『スポーツ選手の怪我』『サウジアラビアの結婚事情』等々ありとあらゆる分野の発表があり、見ているだけで楽しくなると同時に、自分もこの場に発表者として立っているんだということがしみじみと嬉しく、誇らしくなりました(実際に渾身の研究結果を発表したらもっと嬉しいんだろうな、とも思いました)。

人文系の私の発表なんて、興味を持って見てくれる人がいるのかなぁと不安でしたが、思いがけず私の分野以外の人が『これは自分の分野ともかぶるから』と熱心に見てくれたり、自分の学部の知らない先生が見てくれたりと思ったよりもずっと盛況でした。

自分の想いを込めたものを他人に見せて、それについて意見を交換したり、批判をもらったり褒めてもらったりする、というのは想像していた以上にエキサイティングなことでした。最初に学会のことを聞いた時(『自分とは縁がない』と思いました)、プロポーザルに何を書いたらいいのかよく分からなかった時、ポスター作りの現実を目の当たりにした時。ずっと自分にはできない、無理だ、と心のどこかで思っていました。それを考えるとこの現実に感無量です。

振り返ってみれば、1年前の今頃は大学院に応募しながらも全く現実味がなく、まさか自分がちゃんと院生としてやって行けるだなんて思ってもいませんでした。それが1年後こんな場に立てているだなんて。人間、いくつになっても挑戦し続けることはできるんです。自分には無理、と思うのは挑戦してとことんやってみてからでいいんです。

大学院生活もまだ一年目、これから長い長い道のりが続きますが、今回のような経験を一つずつ積んで行って少しづつ自信の梯子の段を増やし、必ず最終目標に到達しよう!と決意を新たにした昨日でした。

でも、とりあえず今日はおつかれさま、と言うことでのんびりしようかな。

 

どうしても、どうしても国際結婚がしたい!と言われても。

アメリカ生活

今日はちょっと困ったさんのお話です。

若い時、イタリア語を習っていました。どう言う訳でイタリア語?それはただ単にイタリアが好きだったから。始めたきっかけは簡単でも結局はまってしまい、ローマに語学留学し、そこで元旦那さんと出会って人生大きく変わってしまいました。人間何が災いするかちっとも分かりません。

と言うのは脱線です。で、そのイタリア語のクラスの中で親しい友人ができました。女ばかりの4人組、当時の私からすると私以外はみんなバリバリ働くお姉さん達ばかりで仲間に入れてもらうのがとっても嬉しかったのです。20年近くを経た今でも仲良くしてもらっていますが、私が結婚出産離婚と人生の山や谷を超えている間お姉さん達は何も変わらず、今も出会ったときと同じ職場で同じようにバリバリ働いています。独身のまま。

その中の一人に、当時からずっと『結婚するなら外国人がいい』と主張し続ける人がいます。彼女自身は海外生活経験がある訳でも、どこかの国の言葉が堪能な訳でもありません。ただ、自分には外国人が合っているって言うんです。でも、外国人と一括りにしても、アフリカ人からアメリカ人までありとあらゆる人がいるだろうにとよく分からなかったのですが、話を聞くと彼女の言う『外国人』=欧米人、なんです。

欧米人と結婚したいって言う人は確かにいます。映画で見るように、きっと紳士でロマンティックで優しくて、いつも花を買って来てくれてどこにいようと気分が盛り上がれば抱きしめてくれる、そんな残念ながら日本では探すのがちょっと難しいだろう男性を頭に思い描いてあこがれるって言うのも分かりますが、たいていみんな年を重ねるごとに(又は実際欧米人と付き合ってみて)、現実はそんなピンク色の世界だけじゃないって気がつきます。でも、最近薄々と感づいて来たのですが、この友人はいまでもあこがれの世界を想像しているようなのです。日本人男性には受け入れてもらえない自分のこんな点、あんな点を欧米人なら気にしないで受け入れてくれて、幸せにしてくれるはず、と。

彼女と出会って既に20年近く。この間、何も変わらず突っ走って来れたそのパワーはすごいと思うしできたら理想の男性と幸せになってもらいたい。でもね、彼女はやっていることがちぐはぐで、例えば目標とする国の男性が変わると学ぶ言語も変わるんです。今まで何カ国語にトライしたことか。この20年間、もし一つの言語にこだわって勉強し続けていれば今頃その国に移り住んで理想の相手をゲットしていたかも知れない。でも彼女の発想は、まずはさわりを勉強して相手を見つけ、移住してそれからもっと話せるようになるって言うものすごく危ういものなんです。そのプランは残念ながら100%うまく行きません。同じ発想で結婚までこぎ着けた友人は存在しますが、今のところ皆苦労したあげく、離婚したりされたりしています。自殺した友人もいます。

ちなみにこの20年間、何もなかった訳ではありません。彼女なりに相手を見つけ、相手の国に会いに行ったり、結婚すると決めたり。でもどうもいつも端から見ていてかなり無理があるんです。で、いつもその無理が最後に具体化して(それまで気がつかないのか、気がつかない振りをしているのか分かりません)うまく行きません。どうしてだろうねーと他の友人と話していると、その友人がぽつりと『彼女さ、相手個人が好きって言うより相手が外国人だって言う事実が好きって言う感じだよね』って言うんです。それを聞いて、すーっと霧が晴れるような気がしました。そうなんです。恋愛って、人を好きになるって、そう言うことです。相手と自分の間にあるケミカル。それさえあれば、相手がなに人だろうが、どんな仕事をしていようが、背が高かろうが低かろうが関係ないんです。

残念ながら、私の友人は『国際結婚』という形にとらわれすぎて、人と人とが惹かれあう、恋愛で一番大事な部分が見えてないんです。

私の中では、長年のもやもやがすっきりしたけど、でもこれって本人に言うべきかなぁ。

 

日記なので。

アメリカ生活

今日は普通の日記です。

2017年3月17日 晴のち曇り 暖かい 最高気温68度(華氏)

携帯にセットした目覚ましに起こされる。毎朝毎朝『嘘だ、絶対嘘だ、もう朝だなんて嘘だ』と思うほど深い眠りから起こされる。目覚ましのタイミングが悪いのかな。

さらに寝覚めの悪い娘達を起こし、なんとか朝ご飯を食べさせている間にお弁当を作り、髪の毛をセットしてあげていつも通りスクールバスまで猛ダッシュ。下の娘がバスに乗り込むと、ちょっと一息。

でも今朝は朝一番で仕事前に友人の花ちゃんが遊びに来てくれることになっている。花ちゃんはアメリカ人の彼と先日婚約したばかり。穏やかな彼と幸せな生活を始めるんだろうなと簡単に想像がつくのだけれど、今朝はなんと昨日から彼と言い争いをしているそうな。珍しい。最近自分で嬉しいことは、他人の不幸に小躍りしなくなったこと。いやぁー、昔は本当にいやな奴だった、私。花ちゃんは異国の地での大事な友人。早く彼と仲直りして元のほんわか状態に戻ってほしいな。

花ちゃんを送り出すのと同時に、近所のユダヤ人の家にお仕事へ。生活費のために家の用事をいろいろとお手伝いするようになったユダヤ人の家。まだ若いカップルと小さい女の子三人のにぎやかな家庭で、お父さんがユダヤ教のラビをしているようで家の中は『ザ ユダヤ』。おいてある本も遊ぶ道具もヘブライ語のみで、家の中には(特にキッチン)には様々決まりが。今朝は絶対混ぜては行けない乳製品を扱ったスプーンをうっかり他のものを洗うスポンジで洗ってしまい、冷や汗がでた。でも、あれ間違えちゃったら何が起こるんだろう。バチが当たるとか?(ってものすごい日本的発想)

二時間のお仕事をなんとか終え、車を運転して一時間かかる大学へ。今日は自分の授業はなく、ボランティアで日本人留学生の英語の手伝いをするだけ。アメリカへ来てまだ二週間の彼ら、今日は何だか疲れて見えた。『大丈夫?』と聞くと『日本食が食べたいです』って。そりゃぁ11年住んでいる私も食べたいです。

一時間運転して、一時間15分のボランティアをして又一時間かけて自宅へ。ちょっと人が良すぎるんじゃない?ガソリン代ぐらい請求しなくちゃ駄目だよ、という彼の言葉がちょっと頭をよぎる。こりゃまた日本人だけど、でも、いいの。自分が何かの助けになっているなら、よしとしよう。

家に帰って、犬の散歩に行き、娘達を迎えて夕ご飯の支度。下の娘が風邪っぽいようで、早めに寝かせて、さて自分の勉強、勉強。来週人生初の学会発表をすることになった。そのためのポスター作りを頑張らないと。、、、と、と言うところで行き詰まったのでブログで気分転換してみた。

それは突然やって来る!

独身生活

今回は、ちょっとばかり下世話なお話です。

よく自分の国のことは、外国に出てみるとわかると言います。私も気がつくと自分の住む国と日本のことをよく比べていることがあります。『あ、同じだな』とか『ええ!全然違うな』とか。最近、日米でずいぶん違うんだなと思ったことがあります。それは『性欲』。

もちろんすごく個人差のあることなので、言い切ることはできないのですが、一般的に(あくまで私の知る限りの一般的に)アメリカ人の方が性欲が強いような気がします。アメリカでは『レス』なんて言う話はあまり聞きません。レスの状態で結婚生活を続ける思考回路はないのではないでしょうか。だって、どんなに仲の悪い夫婦でも、そう言うことはしているんです。私の彼は離婚していますが、一度ちらっと何かの話で『元妻と最後にしたのは確か、僕が出て行く一週間前で、、、』って言う発言を聞いてびっくり仰天したことがあります。

さて、そんな性欲の強いアメリカ人である彼と付き合っていると、知らず知らずのうちに自分も性に関してずいぶん開けっぴろげになっている気がします。偏見かもしれないのですが、日本の社会では性に関することってちょっと後ろめたい、というか隠さなきゃ、みたいなとことがあるように思います。少なくとも私自身はずっと今までそうでした。それが、ここ最近は『あぁ、こういうことって口にしてもいいんだな』とずいぶん気持ちが軽くなりました。

で、本題です。そんなアメリカ人の性欲の強さを分かったうえで笑って読んでやってください。先日彼が遊びに来ました。いつもの、家から3時間かかるところにある飛行場に着きました。会えるのは一月ぶりです。会えるのは一月ぶりなのですが、前回は彼と一緒に家に帰り着いたとたんに生理が始まる、という(私達にとっては)大悲劇に見舞われたため、会えるのはそれはそれは楽しみでした。彼は飛行機の切符をとるときから『今回は大丈夫!十分計算したからね(何を?どうやって??)!!安心してていいよ(ってそれは自分に言い聞かせてる?)』と大張り切り。空港で出迎えて、はー、本当に久しぶりだね、会えて嬉しいよ、云々の会話の後、家に向かって出発。道中3時間の会話と言えば、このまま録音して売り出せるんじゃないかというぐらいセンシュアルなもの。『とにかく早く家に帰ろうよ!!!』とスピードリミットも無視してぶっ飛ばして帰って来ました。

余談ですが、たまに思うのですが、性欲ってすごいパワーを持っていませんか。執務室にいる大統領でさえ血迷わせてしまう、性欲。今までどれだけの人が、性にコントロールされて人生をぶっつぶしたでしょうか?今回私がエンジン全開で帰って来たのなんて、それに比べればかわいいもんです。

そんなこんなの三時間弱(かなり早く着きました)を経て、無事に家に到着。大盛り上がりの二人。飼い犬に熱烈に迎えられて家に入り、とりあえず着いたね、荷物は後でいいよね、と笑って振り向くと彼がこわばった顔で立っています。んん?なんだ?!と思って彼の視線の先を見ると、、、床にポツッと赤いまん丸が。それを見た瞬間、腰から力が抜けました。なんと先月とまるで、まるで一緒の展開です。

『あり得ない。僕の計算では後2週間は大丈夫だったのに。』彼の計算より何より、こんなに早く来ることはあり得ないと私だって分かります。自分の体ですから。でも、目の前には信じられないけど動かしがたい現実が。『きっと、帰って来る時車の中で盛り上がりすぎたんだ』『もしかしたら、君の体はこんなくだらない奴は排除しなきゃいかんと思って反応してるのかも知れない』等とう、もはや訳の分からないことを言う彼。それぐらいがっかりしちゃいました。

それから三日間、まるで老夫婦な穏やかな日々を過ごした私達は『来月こそは!』と胸に誓ったのでした。

 

若人

大学生活

今回は、日本人留学生のお話です。

先日大学院の授業でアメリカにおける人種別の学力ランキングを調査しました。ダントツ、本当に突き抜けて一位はアジア系!クラスで唯一のアジア人として、とても気分が良かったのですが。さて、その『アジア系』の内訳というと。。。いない、日本人がいない。最近は海外に出る日本人が少ないとよく聞きますがそれは数字にも出ています。

見渡してみれば、広大な州立大のキャンパスの中に日本人の正式な(短期等でない)学生は私を含めてたった二人。

先日、その貴重な相方君から嬉しいお知らせが来たんです。日本の某大学から日本人学生が15人来るらしい、と。しかも大学が彼らの勉強の個人指導をできる人を捜している、ということで早速『やります!』と志願したところあっさり採用になりました。

相方君(20代後半)によると、『ワッカイですよ。とにかく。ほとんど女の子で、みんなきゃぴきゃぴと元気で、何かやられました』そうで、そんな、20代でそうだったら40の私はどうなっちゃうんだろうとやや不安を抱えた初日。

大学の方から頼まれて、日本語で連絡事項を伝えたあとに始まったセッションでは英語のみ。私が担当になった二人のお肌ぴちぴち、髪の毛つやつやの女の子達は『この人、なんなの?!なに人??』と多少戸惑っていたものの、にこやかに挨拶をしてくれました。一週間前についたばかりで、それでももう日本食が恋しいですという二人。そうかそうか、と早速セッションを始めました。

二人はそれぞれとっているクラスから出ている宿題を持って来ていて、それに取り組むのですがその宿題が難しい!!二人のうち一人はあんまり英語もできないみたいで、宿題になっているビデオを前に、氷のように固まっています。『ええと、何か聞き取れたかな?』と聞いてみると7分前後のビデオの中から本の数語だけ。しかも本題と全く関係ない言葉ばかり。自分より、自分の娘との方がよっぽど年の近いその子を見ながら大丈夫だろうか、とかなり心配に。

それでも、必死に何回も何回もビデオを見続ける様子を見ていたら何だか感無量になってしまいました。この子は、きっとすごい勇気を振り絞って居心地のいい家や友達を残してここに来たんだろうなーと思ったら(いや、実際は違うかもしれないのですが)何だかジーンとしてしまいました。

これから8月まで、頑張れ!

列車の旅

アメリカ生活

今回はアメリカの長距離列車事情です。

先週、大学院が春休みでした。4月に年度が替わらないアメリカでは春休みといっても一週間だけ。しかも狙ったように休み明けが提出期限、と言う課題が多いので多くの大学院生にとっては普段と変わらない、又は普段より勉強する日々。そんなの絶対にいや!と思った私は思い切って一週間彼の家に遊びに行くことにしました。彼は州を三つ挟んだところに住んでいて、そこに行くには飛行機、電車、車などの方法があります。当然飛行機が一番速い(90分)のですが、その分高い。子供達の分も入れて3人分のチケットとなると母子家庭にはとっても辛いのです。電車と車はほぼ値段も一緒、かかる時間も一緒(10時間)なのですが、今回は電車にしてみました。

というのも、出発直前まで精一杯頑張るつもりでしたが、課題を終わらせられない予感でいっぱいだったからです。車だと荷物も運べるし、道中楽しくていいけれど10時間運転”しか”できません。その点電車なら、と思ったのです。

さて、アメリカと言えば飛行機と思う人が多いかもしれないのですが、電車の旅もそれなりにいいものです。飛行機なら一時間半で着く距離を10時間かけて進むのですからそれなりにドラマもいっぱい。今回はピッツバーグからシカゴに行く電車に乗りました。

長距離列車は一日に一本しか出ていないので、日本の5分おきにじゃんじゃん出発する新幹線を思い浮かべてはいけません。貴重な一本。乗る方も乗せる方も準備が大変、と言う訳でなぜか1時間も前から待ち合い場所に来るように指示されます。が、行ってみても荷物が軽い場合はチェックインする必要もなく、ただベンチに座って待っているだけ。余談ですが、一度出発5分前に駅に着いたことがありますが、それでも多少走らされるものの十分乗れました。

待合所を見渡すと偏見なのかなんなのか、ちょっと風変わりな人が多いい気がします。オーソドックスなユダヤ人の一家、荷物が全て黒いゴミ袋の黒人のおじさん、ヒッピーみたいな格好の細すぎるお兄ちゃん(なにか悪い薬でも?)、アジア人の留学生の団体、そして極めつけは大量のアーミッシュ。アーミッシュというのは今も昔からの伝統を厳しく守って暮らす主義の人々で、電気も車も使わず自給自足の生活をし、『大草原の小さな家』に出て来る人のような格好をし、自分たちのコミュニティーの中だけで生活しています。学校も自分たちで運営し、外の世界からの影響をなるだけ排除して平和に暮らしています。ペンシルベニア州では決して珍しくない人々です。でも、普段アーミッシュファームに野菜を買いに行くことはあっても、彼らを間近でみることはあまりないのでついつい興味本位で観察してみました。男の人はみんなボールを頭に乗せて切りそろえたような髪型で(でもすごく似合ってて、ハンサムが多い!)麦わら帽子をかぶり、女の人はちょうどローラのお母さんみたいなエプロンドレスにボンネット。お団子頭でよくしゃべる。言葉も普段耳にする英語とは微妙に違っていて何を話しているのか全部は分かりませんが、何家族も集まってとても楽しそうに持参したピクニックバスケットから次々と食べ物を取り出しては、みんなで笑っています。どう言う気持ちで今のこの現代に暮らしているのか想像もつきませんが、それはそれで平和で幸せなんだろうな、と思いました。

ようやく電車に乗る時間。ここでも日本のような自動改札はありません。車掌さんが一人一人の切符をスキャンした上で、紙に手書きの座席番号を渡されます。そしてどの車両のどこに乗るか教えられ、あとはそれに従って自分の席を探します。車体はかなり年季が入っていますが、映画に出て来るような大きな電車で乗るときは階段を上ります。ちょっとワクワク。座席はどれも二人並びのため、我が家はいつも子供達が二人で座り、私はいつも知らない人の隣になります。どんな人が横に座るのか、これはけっこうドキドキです。夜行列車なので到着までちゃんと寝たい。けれどそれは全て隣の人に懸かっていると言っても過言ではありません。こういうとき、だいたいみんながお行儀のいい日本はいいよなと思ったりします。巨体で大音量の音楽を聴き続ける黒人のお兄さん、又はおしゃべり好きな白人のおばさんなどの隣に座らされると、翌朝シカゴでパンダみたいな顔で彼に会うことになります。

そんな、不運を引き当てたときは、ラウンジカー(自由に座っていい外を眺めるための車両)やドレスルームがお勧めです。特にドレスルームは女性専用で、トイレも小さなソファーもついていて一人でいられる限りかなり快適に過ごせます。でも、自分の席に座っていないと、自分の目的地に着いた時に車掌さんに起こしてもらえないのでその点注意が必要です。また、電車はたいていいつも満席なのですが、たとえ空いていても自分のではない場所に座っているとたいてい叱られます。叱られるというのは比喩ではなく、お客様は神様です、の日本人にはあり得ない勢いで叱り飛ばされます。

今回は、私の横には荷物はあるものの(そして荷物の様子からちょっとあやしい男性が想像されました)本人はどこかにいるらしく、結局朝になるまで私は一人でゆっくり眠ることができました。

出発するとすぐいろいろな車内アナウンスがあります。内容は食堂車の案内や注意事項など日本の電車と変わらないのですが、アナウンスする人によって様々でとっても面白いです。例えば携帯電話での通話は控えてくださいというアナウンスのとき『はい、今これを聞きながら正に電話で喋くっている、そこのあなた、隣の人の顔を見てください』と言ったり。そう言うぷっと笑ってしまう自由が普通にまかり通るところがやっぱりアメリカ。

こうして座席に無事落ち着いて読みかけの本を横において、ぼんやり過ごしているといつの間にかうとうとしたようで、気がついたら次の停車駅はシカゴです。と。、、、で、結局せっかく勉強するために電車にしたのにパソコンを開きもしなかったのでした。がーん。